朝鮮戦争13
出典: Jinkawiki
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朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍の多くが朝鮮に移動したので日本の治安を維持するために、GHQの指令で警察予備隊が創設された。また、GHQの指令による日本共産党幹部の公職追放(レッド=パージ)は官公庁・報道機関の共産党委員やその同調者への追放に拡大していった。さらに、ドッジ=ラインの実施で深刻な不況に苦しんでいた日本は、アメリカ軍の朝鮮戦争関係の膨大な特需により、繊維・金属を中心に輸出が伸び、特需景気となった。この特需景気やIMF(国際通貨基金)、GATT(「関税及び貿易に関する一般協定」)への加盟も大きくかかわって、日本は経済的な面で国際社会への復帰を果たした。物価も安定し、「神武天皇以来」の好景気(神武景気)が到来したとされた。 | 朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍の多くが朝鮮に移動したので日本の治安を維持するために、GHQの指令で警察予備隊が創設された。また、GHQの指令による日本共産党幹部の公職追放(レッド=パージ)は官公庁・報道機関の共産党委員やその同調者への追放に拡大していった。さらに、ドッジ=ラインの実施で深刻な不況に苦しんでいた日本は、アメリカ軍の朝鮮戦争関係の膨大な特需により、繊維・金属を中心に輸出が伸び、特需景気となった。この特需景気やIMF(国際通貨基金)、GATT(「関税及び貿易に関する一般協定」)への加盟も大きくかかわって、日本は経済的な面で国際社会への復帰を果たした。物価も安定し、「神武天皇以来」の好景気(神武景気)が到来したとされた。 | ||
中国においては、アメリカ軍の全面的な韓国に対する支援にもかかわらず、成立直後の中華人民共和国が支援した北朝鮮が互角以上に戦ったことは世界を驚かし、毛沢東・中国共産党指導部の国内、国外での権威が強まったと言うことができる。毛沢東は1953年から第1次5カ年計画に着手、本格的な社会主義建設段階にはいる。 | 中国においては、アメリカ軍の全面的な韓国に対する支援にもかかわらず、成立直後の中華人民共和国が支援した北朝鮮が互角以上に戦ったことは世界を驚かし、毛沢東・中国共産党指導部の国内、国外での権威が強まったと言うことができる。毛沢東は1953年から第1次5カ年計画に着手、本格的な社会主義建設段階にはいる。 | ||
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+ | 第二次世界大戦終結の5年目に起こった朝鮮戦争は、「冷戦の中の熱戦」として第三次世界大戦の危機となった。国際世論がイギリスなどを動かし、世界戦争の再発は回避された。しかし、現地司令官のマッカーサーは北朝鮮を支援する中国大陸に対して原爆の使用を計画し、一時は核戦争の勃発が危ぶまれた。そのときすでに49年のソ連は原爆実験に成功しており、さらに戦争末期の53年には米ソとも水爆実験を行っていた。このような核兵器の急激な高性能化はかえって米ソ両国に恐怖心を与え、「核抑止力」が働くこととなって、核戦争は回避された。 | ||
== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
最新日本史 明成社 | 最新日本史 明成社 | ||
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+ | 世界史の窓 http://www.y-history.net/appendix/wh1602-001.html |
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概要
朝鮮戦争は、1948年に大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で生じた朝鮮半島の主権を巡る国際紛争のことである。1950年6月25日に金日成率いる北朝鮮が中華人民共和国の毛沢東とソビエト連邦のヨシフ・スターリンの同意と支援を受けて、国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発した。終戦ではなく休戦状態であるため、名目上は現在も戦時中であり、南北朝鮮の両国間、及び北朝鮮とアメリカ合衆国との間に平和条約は締結されておらず、緊張状態は解消されていない。休戦以来、北朝鮮は何度も大韓民国への領空、領海侵犯のみならず砲撃をも行い、韓国や日本などの国民の拉致や恫喝を繰り返している。
経緯
朝鮮半島は1910年に日本による韓国併合によって日本の植民地となった。1945年、ソ連は日本に宣戦布告して満州や朝鮮半島の北部に侵攻した。以前からソ連は南下政策をとっていたが、1904年の日露戦争に事実上敗北するなどして日本に朝鮮半島も満州も剥奪されていた。しかし、日本は第二次世界大戦に破れ、朝鮮半島の統治権を放棄するよう迫られた。アメリカはソ連が単独で朝鮮半島を占領することに危機感を抱き、38度線にて分割することを提示しソ連もそれを認め、アメリカ、ソ連はそのまま軍を滞在させ事実上の支配を続けた。これが、現在も続く朝鮮半島を北と南に別けた原因となった。 その後、1950年の1月、アメリカは韓国と相互防衛援助協定を締結し、2月には中国とソ連が友好同盟相互援助条約を結び、緊張が高まった。そして同年6月、北朝鮮軍は突如38度線を越えて韓国内に侵入し、朝鮮戦争が勃発したのである。
経過
朝鮮戦争の勃発に対して、国連は国連安全保障理事会を収集し、北朝鮮を侵略者とみなし武力総裁するとして韓国軍支援を訴えるアメリカの主張が採択され、非正規の国連軍が組織された。韓国はアメリカを中心とする国連軍の支援を受け、北朝鮮はソ連および中国人義勇軍の援助を受けて、朝鮮半島全土が戦場となった。戦線は38度付近で膠着したため、1951年7月から休戦会談が開かれたが交渉は難航した。しかし、早期停戦を主張するアイゼンハワーの大統領当選やスターリンの死去という米ソの指導者の交代によって、1953年7月に軍事境界線のある板門店で、休戦協定が調停された。
影響
朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍の多くが朝鮮に移動したので日本の治安を維持するために、GHQの指令で警察予備隊が創設された。また、GHQの指令による日本共産党幹部の公職追放(レッド=パージ)は官公庁・報道機関の共産党委員やその同調者への追放に拡大していった。さらに、ドッジ=ラインの実施で深刻な不況に苦しんでいた日本は、アメリカ軍の朝鮮戦争関係の膨大な特需により、繊維・金属を中心に輸出が伸び、特需景気となった。この特需景気やIMF(国際通貨基金)、GATT(「関税及び貿易に関する一般協定」)への加盟も大きくかかわって、日本は経済的な面で国際社会への復帰を果たした。物価も安定し、「神武天皇以来」の好景気(神武景気)が到来したとされた。 中国においては、アメリカ軍の全面的な韓国に対する支援にもかかわらず、成立直後の中華人民共和国が支援した北朝鮮が互角以上に戦ったことは世界を驚かし、毛沢東・中国共産党指導部の国内、国外での権威が強まったと言うことができる。毛沢東は1953年から第1次5カ年計画に着手、本格的な社会主義建設段階にはいる。
意義
第二次世界大戦終結の5年目に起こった朝鮮戦争は、「冷戦の中の熱戦」として第三次世界大戦の危機となった。国際世論がイギリスなどを動かし、世界戦争の再発は回避された。しかし、現地司令官のマッカーサーは北朝鮮を支援する中国大陸に対して原爆の使用を計画し、一時は核戦争の勃発が危ぶまれた。そのときすでに49年のソ連は原爆実験に成功しており、さらに戦争末期の53年には米ソとも水爆実験を行っていた。このような核兵器の急激な高性能化はかえって米ソ両国に恐怖心を与え、「核抑止力」が働くこととなって、核戦争は回避された。
参考文献
最新日本史 明成社