タッカル報告書

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2019年1月16日 (水) 16:29の版
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- インディラ・ガンジー暗殺をめぐっては、米中央情報局(CIA)からザイル・シン前大統領、はてはインディラの息子ラジブまで様々な人物・組織の関与が取りざたされた。なかでもその迫真性と意外性で世論に衝撃を与えたのが、最高裁判事マンハルラル・タッカルの調査報告書の指摘である。インディラ暗殺直後、新政府は、ケネディ米大統領暗殺の際成果を上げたウォ‐レン委員会に習って、タッカル委員会を発足させ、刑事責任追及にとらわれない事件の調査を依頼した。220人の証言に基づく長大な報告書は、長い間極秘とされていたか、マスコミからすっぱ抜かれたのをきっかけに1989年3月、議会で公表された。報告書の中でタッカルのいう「疑惑の針」ははっきりとインディラの側近中の側近ラジンダル・ダワンに向けられていた。ダワンは一介の速記者からインディラに見出され、首相特別補佐官として権力を握った人物。暗殺の時はインディラのすぐ後ろにいながら、難を逃れた。報告書で指摘されている疑惑は以下のようなものだ。〈1〉インディラのBBCとのインタビューを直前になってから30分遅らせた。〈2〉いったん首相警護から外されたシーク教徒警護官を再び任務につけた。〈3〉実行犯のべアント・シンが共犯のサトワント・シンにダワンを銃撃しないように依頼している。〈4〉べアントと親しかったのに「顔を知っているだけ」と主張するなど供述に矛盾が多い。このほかにもタッカル報告は数えきれないほどの不審点を列挙している。しかしダワンは、なぜ恩人のインディラに刃を向けなければならなかったのか。タッカルもこの疑問には明確に答えていない。ダワンは事件後ラジブの首相補佐官に起用され、現在は上院議員。疑惑についての読売新聞の問い合わせには「7年も前のことだ」として、多く語ろうとしなかったという。+ インディラ・ガンジー暗殺をめぐっては、米中央情報局(CIA)からザイル・シン前大統領、はてはインディラの息子ラジブまで様々な人物・組織の関与が取りざたされた。
 +なかでもその迫真性と意外性で世論に衝撃を与えたのが、最高裁判事マンハルラル・タッカルの調査報告書の指摘である。
 +インディラ暗殺直後、新政府は、ケネディ米大統領暗殺の際成果を上げたウォ‐レン委員会に習って、タッカル委員会を発足させ、刑事責任追及にとらわれない事件の調査を依頼した。220人の証言に基づく長大な報告書は、長い間極秘とされていたか、マスコミからすっぱ抜かれたのをきっかけに1989年3月、議会で公表された。
 +報告書の中でタッカルのいう「疑惑の針」ははっきりとインディラの側近中の側近ラジンダル・ダワンに向けられていた。
 +ダワンは一介の速記者からインディラに見出され、首相特別補佐官として権力を握った人物。暗殺の時はインディラのすぐ後ろにいながら、難を逃れた。
 +報告書で指摘されている疑惑は以下のようなものだ。
 +〈1〉インディラのBBCとのインタビューを直前になってから30分遅らせた。
 +〈2〉いったん首相警護から外されたシーク教徒警護官を再び任務につけた。
 +〈3〉実行犯のべアント・シンが共犯のサトワント・シンにダワンを銃撃しないように依頼している。
 +〈4〉べアントと親しかったのに「顔を知っているだけ」と主張するなど供述に矛盾が多い。
 +このほかにもタッカル報告は数えきれないほどの不審点を列挙している。しかしダワンは、なぜ恩人のインディラに刃を向けなければならなかったのか。タッカルもこの疑問には明確に答えていない。
 +ダワンは事件後ラジブの首相補佐官に起用され、現在は上院議員。疑惑についての読売新聞の問い合わせには「7年も前のことだ」として、多く語ろうとしなかったという。
参考文献 20世紀のドラマⅠ 小高民雄(著) 東京書籍出版 1992年5月13日 参考文献 20世紀のドラマⅠ 小高民雄(著) 東京書籍出版 1992年5月13日

2019年1月16日 (水) 16:31の版

インディラ・ガンジー暗殺をめぐっては、米中央情報局(CIA)からザイル・シン前大統領、はてはインディラの息子ラジブまで様々な人物・組織の関与が取りざたされた。

なかでもその迫真性と意外性で世論に衝撃を与えたのが、最高裁判事マンハルラル・タッカルの調査報告書の指摘である。 インディラ暗殺直後、新政府は、ケネディ米大統領暗殺の際成果を上げたウォ‐レン委員会に習って、タッカル委員会を発足させ、刑事責任追及にとらわれない事件の調査を依頼した。220人の証言に基づく長大な報告書は、長い間極秘とされていたか、マスコミからすっぱ抜かれたのをきっかけに1989年3月、議会で公表された。 報告書の中でタッカルのいう「疑惑の針」ははっきりとインディラの側近中の側近ラジンダル・ダワンに向けられていた。 ダワンは一介の速記者からインディラに見出され、首相特別補佐官として権力を握った人物。暗殺の時はインディラのすぐ後ろにいながら、難を逃れた。 報告書で指摘されている疑惑は以下のようなものだ。 〈1〉インディラのBBCとのインタビューを直前になってから30分遅らせた。 〈2〉いったん首相警護から外されたシーク教徒警護官を再び任務につけた。 〈3〉実行犯のべアント・シンが共犯のサトワント・シンにダワンを銃撃しないように依頼している。 〈4〉べアントと親しかったのに「顔を知っているだけ」と主張するなど供述に矛盾が多い。 このほかにもタッカル報告は数えきれないほどの不審点を列挙している。しかしダワンは、なぜ恩人のインディラに刃を向けなければならなかったのか。タッカルもこの疑問には明確に答えていない。 ダワンは事件後ラジブの首相補佐官に起用され、現在は上院議員。疑惑についての読売新聞の問い合わせには「7年も前のことだ」として、多く語ろうとしなかったという。

参考文献 20世紀のドラマⅠ 小高民雄(著) 東京書籍出版 1992年5月13日


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