エスペラント5

出典: Jinkawiki

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2008年8月1日 (金) 17:40の版
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エスペラントは、なによりもまず「ことば」である。 100年をこえる実用の歴史がこのことを証明している。話し手の多少を問わず、どの民族語も調和のとれた美しい体系であるように、エスペラントもことばとして調和のとれた体系である。また、日本語や英語を大切に思う人がたくさんいるのと同じように、エスペラントを「自分のことば」として大切に思う人もたくさんいる. しかし、民族語と同じ機能を持った「ことば」であると同時に、人間が知性の光をあてて磨き上げた国際共通(補助)語として、ほかにない特徴がエスペラントにはある。 学習者を悩ます不規則や例外ができるかぎり捨てられているので、比較的短期間の努力で、このことばの本質にいたることができる。

エスペラントは、ザメンホフ(Lazaro Ludoviko Zamenhof,1859-1917)によって、 1887年7月に発表された。ユダヤ人として激しい民族差別に苦しんだ彼にとって、「諸民族の対等な交流の手段としての中立言語」を作り上げることは、少年時代から一貫する人生のテーマだった。 試案として発表するだけなら、ザメンホフ以前にも以後にも「国際語」はいくつも作られている。そしてそれらのうちのほとんどは、流れ星のようにどこかへ消えてしまった。 まだ希薄ではあるとはいえ、エスペラントが地球の陸地表面全体をつつむネットワークに成長したのは、人生をかけてこのことばを開発し、発表と同時にこのことばについての著作権を放棄したザメンホフに、そしてまた「諸民族の平和と共存」という理想を分かち合い、普及運動に身を投じた先人たちに多くを負っている。 エスペラントのことばとしての基礎はこの人たちによって確立された。もはやどのような強大な力もエスペラントを圧殺することはできない。しかし、人類の共通語 --- 人間が対等に意思を疎通するための道具 --- を作るという、この壮大な実験は、まだようやくその第2段階に達したばかりでもある。だから、エスペラントを学び、実用し、普及活動に携わるすべての人が、今まさにこのことばを作りつつある、とも言えるのである。 ザメンホフは このことばを「Lingvo Internacia」(国際語)という題の小冊子で発表した。 Esperanto は、これを発行する際の彼の筆名であり、この単語には「希望しつつあるもの」という意味がある。

激しい民族的偏見と、命までもが危険にさらされるような差別を体験したユダヤ人ザメンホフが、それでも絶望の淵におちいることなく、またほかの民族に対する憎悪に身をまかせるのでもなく、あえてEsperantoという筆名を選んでこのことばを発表した意味は重い。間もなく21世紀をむかえる今日でも、人間は国境をへだてて互いに不信感をいだき、「防衛」という名の戦争の準備に多大なエネルギーを浪費している。そして、現に戦争は絶えたことがない。しかし、その一方、民族間の相互不信をやわらげ、なんとか戦争を防ごうとする人たちも、決して少数ではない。

1887年に発表された「国際語」は、その後 この著者の筆名をとって「エスペラント」とよばれるようになった。このことばを自分のものとして大切に思う人たちは今でも「エスペラント語」ではなく「(国際語)エスペラント」とよんでいる。また、人類がその視野を宇宙にまで広げた今、国境の概念にとらわれた「国際語」の冠を捨てて、このことばを「地球語エスペラント」とよぶ人もあらわれてきている。

参考文献:http://www.jei.or.jp/hp/ro9701/huzimaki97c.html                        日本エスペラント学会


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