原発3

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2011 放射線被曝の歴史―アメリカ原爆開発から福島原発事故まで― 明石書店 中川 保雄 著 2011 放射線被曝の歴史―アメリカ原爆開発から福島原発事故まで― 明石書店 中川 保雄 著
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歴史

1973年、第一次オイルショックが起きたことによって世界各国が石油依存の今のエネルギー体制に危機感を持ち、より原子力発電に目が向けられるようになり、原子力発電所の設置が進められるようになった。日本国内でも、いつか尽きてしまう石油資源に変わる原子力発電に目が向けられ、1954年に、1952年から解禁されていた原子力の研究を元に開発予算が国会に提出された。これが日本の原子力発電のスタートである。1957年には日本原子力発電株式会社も設立され、日本の原子力研究に力が注がれた。

事故例

このように各国で新しいエネルギーとして期待された原子力発電であったが、そのエネルギーの大きさから度々事故も起こっていた。1979年に起きたスリーマイル島原発事故では、その事故を受けてスウェーデンが脱原発を表明、国民投票を受けて1980年に方針を決定した後に2010年には法律改正によって新設の容認がなされたが、現在も水力と原子力で創発電力の9割を担っている。また1986年に起きたチェルノブイリ原発事故では、被害の甚大さから長く原子力に依存してきたイタリアやベルギーが建設計画を破棄することとなった。日本国内での大きな事故としては2011年の東日本大震災によって起こった福島第一原発事故が挙げられる。この事故によってドイツ、スイス、台湾、韓国などが脱原発を表明した。特にスイスでは、チェルノブイリ原発事故で表明した脱原発を2000年代に入って一度は取り下げたが、この事故によって改めて原子力発電所のリスクを再確認し、脱原発を再表明した。

廃棄物処理

また原発事故の他にも、発電時に出た廃棄物の処理も各国で問題となっている。放射性物質を多く含んでいる廃棄物は一般のゴミと同じように焼却などで処分することは出来ず、人間の住む環境と隔離された地中に埋め続けることでしか処分することは出来ない。何かの拍子で中の放射性物質が漏れ出る、埋める場所がなくなるなどのリスクを考えても事故のリスクと同等であり、また解決しなければ将来使用することの出来ないエネルギーの1つとなってしまうのである。


参考図書

2011 放射線被曝の歴史―アメリカ原爆開発から福島原発事故まで― 明石書店 中川 保雄 著


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