グローバリゼーション22
出典: Jinkawiki
2019年1月19日 (土) 12:22の版 Daijiten2014 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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日本のグローバリゼーション 1990年代の半ばまで、日本ではどちらかと言えば国際化というフレーズのほうが優勢で、「グローバリゼーション」という問題はあまり自覚されなかった。ところが、長引く不況や1998年のアジアにおける通貨・経済危機を経ることによって、資本主義経済のグローバリゼーションのもつ問題性が日本でも議論されることとなった。しかし、「グローバリゼーション」をめぐる日本での議論は、経済のグローバリゼーションという次元に偏っている。むろん、「グローバリゼーション」に関する分析は、資本主義のグローバリゼーションという次元を看過するならば、それが国民国家や1国の社会経済に対して及ぼしている深刻なインパクトを見過ごすことになるだろう。とはいえ、「グローバリゼーション」というプロセスは、決して経済の次元に尽きるものではない。「グローバリゼーション」に関しては、地球上のある地点で生じた行為や決定や出来事が、そこから地理的には遠く離れた地点の行為や決定や出来事に対して直接的な影響や作用を及ぼすようになり、しかもそうした影響や作用がますます短時間のうちに及ぶようになるプロセスとして、しばしば定義される。つまり、空間的な距離と時間的な距離はますます一致しなくなり、行為や決定や出来事は、情報通信技術の力を借りてしばしば瞬時にして地球上を駆けめぐる。したがって、「グローバリゼーション」の過程においては、国境やその他の境界線が著しく相対化されるか、あるいは深甚な変容を迫られることとなる。
グローバリゼーションと国際化の違い グローバリゼーションは概念のうえでは、国際化とは異なる。国際化は、国境線によって区切られた各国の社会 が相互に緊密に結びつき、活発な相互作用を強めていくプロセスのことを指している。そこでは1国社会における行為や出来事は、他国の行為や出来事、あるいは複数の国の間での合意や紛争によって影響をこうむるが、そうした外からのインパクトはあくまで間接的なものであり、国境を管理する1国政府の規制や政策というフィルターを通してしか作用していない。「グローバリゼーション」と「国際化」に関するこのような定義は、あくまで理想型としての性質をもつものであり、極端なモデルである。現に世界に生じている過程のある部分は「グローバリゼーション」とみなすことができるが、別の部分はむしろ「国際化」と言ったほうが適切な場合もある。また、グローバリゼーションに関する上の定義において大事な点は、グローバリゼーションはまだ依然として進行中の過程を指しているのであって、何らかの最終的な状態を表現しているのではない。私たちは今や、グローバルな社会に生きていると言うことができるだろうか。インターネットやSNSと英語とを用いて世界中の人々と交信し、接続のよい国際空港から海外へ即座にかつ快適に飛び立っていくエリート・ビジネスマンにとって、グローバルな社会は生活実感に即したものかもしれない。しかし、そのような生活と意識は地球上の多数派の生活様式にはなっていない。地球市民とかグローバルな市民社会と呼べるような社会的統合空間は成立していないし、地球政府など存在していない。したがって、グローバリゼーションという過程とグローバリティもしくはグローバルな社会という状態とは峻別される必要がある。
http://note.masm.jpグローバリゼーションの定義 池尾愛子「グローバリゼーションがわかる」創成社 2007