イラク5

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大まかなイラクの概要に関しては イラク ここでは戦後のイラク、フセイン政権崩壊までについてまとめる

目次

大戦後、独立

1921 英はイラク王国を成立させる。正式に独立したのは1932年、ハーシム家のファイサルが国王となった イスラエル建国に対抗し、アラブ連盟を結成。初めの連盟国はエジプト、シリア、ヨルダン、レバノン、イラク、サウジアラビア、イエメンであった。のちに、リビア、チュニジア、モロッコ、アルジェリア、スーダン、クウェートが加盟する。 反共軍事連盟として、バグダード条約機構METOを結成。加盟国は英、イラン、イラク、トルコ、パキスタンで、本部はバグダード。

イラク革命

カセムを中心として将校団が王政を打倒する。イラク共和国へ。バグダード条約機構、アラブ連盟から離脱。数年後、クーデターによりカセムは処刑される。

再革命

再革命が起き、クーデターを起こしたバース党が政権を掌握する。バース党のサダム・フセインが大統領に就任し、独裁体制を確立する。彼は少数民族クルド人の虐殺やシーア派イスラム原理主義の撲滅を行い、反対派の弾圧を受ける。

このころ、欧米風の近代化への反発から、イスラム原理主義は芽生えたばかりだった。

イランイラク戦争

国境問題とイラン革命の波及の防止のために勃発する。

湾岸戦争

国連安保理で国連軍出動が承認された。多国籍軍が編成され、イラクを攻撃した。

イラク戦争

大量破壊平時所持を理由に、フランスが拒否権を発動し、安保理の承認はなかった。しかし、フセイン政権は崩壊。

イラク議会選挙

フセインが政権崩壊後に逮捕されてしまっため、初のイラク議会選挙が実施される。スンナ派。シーア派、クルド人勢力が対立し、国内は混乱に陥る。


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