マッカーサー3

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ダクラス・マッカーサー(1880-1964)はアメリカの軍人である。

大戦中に陸軍元帥となった後、連合国最高司令官に任命され、日本と朝鮮半島南部を統治する最高責任者となった。戦後のマッカーサーに対する評価は賛否両論であるが、そのうち正反対の二つの側面について触れる。

一つは「解放者」としての顔である。

マッカーサーは日本の非軍事化をすすめようという強い信念をもち、様々な改革をした。そのためか、特に日本占領初期には、マッカーサーを日本の「解放者」とみなす世論が形成された。マッカーサー宛に日本国民から一日に数百通もの手紙が届くこともあり、その多くは感謝状であった。「神の如きマッカーサー元帥」「大きな御心の元帥様」、そんなことばが連なり、天皇の写真の代わりにマッカーサーの写真を掲げる者まであらわれた。

もう一つは「反共産主義者」としての顔である。

しかしマッカーサーには、まったく別の厳しい顔があった。それは非常に強い反共産主義の思想をもち、冷戦の強まるなかで司令官としての力をふるった顔である。それが一番強くあらわれたのが朝鮮戦争だ。戦争が起きると、マッカーサーはすべての作戦を指揮する司令官となり、朝鮮半島に米軍を送った。その空白を埋めるために、日本に現在の自衛隊の礎となった警察予備隊を組織させたのも彼である。最初は北朝鮮の軍を全減させることを画策していたが、戦闘が泥沼化すると、彼は原爆の使用と中国本土への攻撃を主張した。度をこえた主張や行為を繰り返したため、結果的にマッカーサーは司令官を解任されてしまった。

この2つの顔は、マッカーサー個人の性格もあるのかもしれないが、アメリカの東アジア政策のもつ「2つの顔」も象徴していたといえるのではないだろうか。

『未来を開く歴史 東アジア三国の近現代史』日中韓三国共通歴史教材研究会 編著、2006年、高文研


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