満州国

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満州国とは、満州占領を既成事実とするために、1932年3月、すでに退位していた清朝の皇帝・溥儀を名目上の国家元首にすえられた、日本の関東軍がつくりあげたものである。

日本人、満州人、漢族、朝鮮人、モンゴル人の5つの民族が協和する国家を満州に建国すると宣伝した。しかしながら本当の関東軍の狙いは、満州を中国全面侵略戦争と対ソ戦の基地にすることであった。「満州国」は関東軍が統制する傀儡政権であった。また、大部分の政策も日本のものを踏襲していた。皇帝の溥儀は名前だけの地位でしかなく、実際の権力はまったくなかった。

上手く行ったかに思えた満州占領は激しい抵抗にあった。現地の一部の中国軍と民衆は、はじめは抗日ゲリラを組織し、後に抗日連軍を編成し、長期にわたる武装闘争を続けた。関東軍はそんな抗日武装勢力を鎮圧するため、軍隊、警察、憲兵などを総動員して抗日武装勢力の活動地域を討伐させた。そのため、住民に対する迫害や民衆虐殺が多発した。

日本と「満州国」政府は、抗日勢力を孤立させるために村々を合併させ、村民たちを強制的に「集団部落」に移住させた。「集団部落」は、周囲を高い塀と低い塀で囲み、軍隊と警察が門を警備して自由な出入りを許さず、民衆と抗日軍との連絡を遮断した。自分の家を離れようとしない者は、家屋を焼き払われる、田畑を荒らされる、最悪の場合殺害されるなどした。

『未来を開く歴史 東アジア三国の近現代史』日中韓三国共通歴史教材研究会 編著、2006年、高文研


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