ボストン茶会事件

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ボストン茶会事件は、1773年12月16日に、マサチューセッツ植民地のボストンで、イギリス本国議会の植民地政策に憤慨した植民地人の急進派が港に停泊中の貨物輸送船に侵入し、イギリス東インド会社の積荷である茶箱を海に投下した事件である。アメリカ独立革命の象徴的事件の一つである。

・事件の背景 18世紀。イギリスとフランスは各地で植民地争奪戦争を繰り返しており、北アメリカも例外ではなかった。1754年にはフレンチ・インディアン戦争(七年戦争)が勃発し、イギリスとフランス・インディアン連合軍は一進一退の攻防を繰り広げた。戦況を打開すべくイギリスは北アメリカに2万人を派兵し、植民地の民兵も戦いに協力した。こうして最終的に優勢となったイギリスが1763年のパリ条約ででカナダとミシシッピ川以東のルイジアナを獲得した。 しかし、この一連の戦争の戦費として、イギリスには一億三千万ポンドの負債が生じた。イギリス本国は植民地にこの費用を負担させるため、従来の「有益なる怠慢」と言われる穏やかな政治を転換し、1765年には印刷法を、1766年にはタウン全土諸法を制定した。 印紙法により、新聞・各種証書・パンフレット、果てはトランプに至るまで印紙を貼ることが義務付けられたが、植民地側は「代表なくして課税なし」の原則を盾に反対。翌年には同法を廃止させた。また、茶・ガラス・紙・鉛・塗料などに関税をかけるタウンゼンド諸法も、本格製品の不買行動の広範囲化などの抵抗を招いた。 その中でボストン市民5人が駐留英軍に射殺されるボストン虐殺事件も起こり、急進派によって反プロパガンダに利用されたことも相まって世論の反応は一層強まった。結局、イギリス本国は植民地側に対し譲歩を余儀なくされ、茶税だけを残しタウンゼンド諸法は廃止された。

ハンドルネーム:てんや

参考文献 Wikipedia「ボストン茶会事件項」


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