倭寇
出典: Jinkawiki
2008年12月7日 (日) 23:17の版 Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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13~16世紀、朝鮮・中国沿岸を略奪した武装商人団。私貿易の他、人間や米などを略奪し、海賊、密貿易を行った。海乱鬼(かいらぎ)とも呼ばれる。 | 13~16世紀、朝鮮・中国沿岸を略奪した武装商人団。私貿易の他、人間や米などを略奪し、海賊、密貿易を行った。海乱鬼(かいらぎ)とも呼ばれる。 | ||
- | + | 倭寇とは「倭による侵略」という意味で、中国、朝鮮では日本人海賊を意味する。用事例を辿ると5世紀の高句麗広開土王碑の条文にも見られるが、後世の意味とは異なる。ここに見られる『倭、○○(地名)を寇す』という表現の漢文表記では『倭寇○○』のように「倭寇」の2字が連結しており、これが後に名詞として独立したと考えられている。倭寇の構成員は、前期倭寇では主に日本人と高麗人であったと推測されている。後期倭寇は大半が中国人であったという。 | |
- | 倭寇とは「倭による侵略」という意味で、中国、朝鮮では日本人海賊を意味する。用事例を辿ると5世紀の高句麗広開土王碑の条文にも見られるが、後世の意味とは異なる。ここに見られる『倭、○○(地名)を寇す』という表現の漢文表記では『倭寇○○』のように「倭寇」の2字が連結しており、これが後に名詞として独立したと考えられている。倭寇の構成員は、前期倭寇では主に日本人と高麗人であったと推測されている。後期倭寇は大半が中国人であったという。 | + | |
また、16世紀の豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役(中国:萬曆の役)(韓国:壬辰倭亂))、日中戦争における日本軍も「倭寇」と呼ばれるなど、排日感情の表現として使用された事がある。現代でも、韓国人や中国人が日本人を侮蔑するときに用いており、「野蛮人」のニュアンスを含む。 | また、16世紀の豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役(中国:萬曆の役)(韓国:壬辰倭亂))、日中戦争における日本軍も「倭寇」と呼ばれるなど、排日感情の表現として使用された事がある。現代でも、韓国人や中国人が日本人を侮蔑するときに用いており、「野蛮人」のニュアンスを含む。 | ||
- | 倭寇の構成は、初期~最盛期の前期倭は、「高麗史」に見える高麗末500回前後の倭寇関連記事の内、高麗人が加わっていたと明記されているのは3件である。このことからその構成員の多くが日本人であったと推測される。一方、前期倭寇の最末期についての文献である、朝鮮王朝実録の『世宗実録』二十八(1446年)十月壬戌条には、「然其間倭人不過一二而本國民仮著倭服成黨作亂」とあり、真倭は一割、二割にすぎず、残りは我が国の賎民であると記述されている。この記載から、前期倭寇の最末記には日本人が倭寇にしめる割合として多数をしめていなくなったということが伺える。 | + | 倭寇の構成は、初期~最盛期の前期倭は、「高麗史」に見える高麗末500回前後の倭寇関連記事の内、高麗人が加わっていたと明記されているのは3件である。このことからその構成員の多くが日本人であったと推測される。一方、前期倭寇の最末期についての文献である、朝鮮王朝実録の『世宗実録』二十八(1446年)十月壬戌条には、「然其間倭人不過一二而本國民仮著倭服成黨作亂」とあり、真倭は一割、二割にすぎず、残りは我が国の賎民であると記述されている。この記載から、前期倭寇の最末記には日本人が倭寇にしめる割合として多数をしめていなくなったということが伺える。 |
- | 後期倭寇は、終始、中国人が中心であり、『明史』には、日本人の倭寇は10人の内3人であり、残り7はこれに従ったものである(「大抵真倭十之三、從倭者十之七。」)と記されている。 | + | 後期倭寇は、終始、中国人が中心であり、『明史』には、日本人の倭寇は10人の内3人であり、残り7はこれに従ったものである(「大抵真倭十之三、從倭者十之七。」)と記されている。 |
- | 引用 | + | 参考資料 |
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%AF%87 | http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%AF%87 | ||
- | 日本史B用語集」 全国歴史教育研究協議会【編】 山川出版社 | + | 日本史B用語集 全国歴史教育研究協議会【編】 山川出版社 |
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+ | 石川日本史B講義の実況中継② 石川晶康 語学春秋社 |
最新版
13~16世紀、朝鮮・中国沿岸を略奪した武装商人団。私貿易の他、人間や米などを略奪し、海賊、密貿易を行った。海乱鬼(かいらぎ)とも呼ばれる。
倭寇とは「倭による侵略」という意味で、中国、朝鮮では日本人海賊を意味する。用事例を辿ると5世紀の高句麗広開土王碑の条文にも見られるが、後世の意味とは異なる。ここに見られる『倭、○○(地名)を寇す』という表現の漢文表記では『倭寇○○』のように「倭寇」の2字が連結しており、これが後に名詞として独立したと考えられている。倭寇の構成員は、前期倭寇では主に日本人と高麗人であったと推測されている。後期倭寇は大半が中国人であったという。
また、16世紀の豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役(中国:萬曆の役)(韓国:壬辰倭亂))、日中戦争における日本軍も「倭寇」と呼ばれるなど、排日感情の表現として使用された事がある。現代でも、韓国人や中国人が日本人を侮蔑するときに用いており、「野蛮人」のニュアンスを含む。
倭寇の構成は、初期~最盛期の前期倭は、「高麗史」に見える高麗末500回前後の倭寇関連記事の内、高麗人が加わっていたと明記されているのは3件である。このことからその構成員の多くが日本人であったと推測される。一方、前期倭寇の最末期についての文献である、朝鮮王朝実録の『世宗実録』二十八(1446年)十月壬戌条には、「然其間倭人不過一二而本國民仮著倭服成黨作亂」とあり、真倭は一割、二割にすぎず、残りは我が国の賎民であると記述されている。この記載から、前期倭寇の最末記には日本人が倭寇にしめる割合として多数をしめていなくなったということが伺える。
後期倭寇は、終始、中国人が中心であり、『明史』には、日本人の倭寇は10人の内3人であり、残り7はこれに従ったものである(「大抵真倭十之三、從倭者十之七。」)と記されている。
参考資料
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%AF%87
日本史B用語集 全国歴史教育研究協議会【編】 山川出版社
石川日本史B講義の実況中継② 石川晶康 語学春秋社