カリキュラム
出典: Jinkawiki
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カリキュラムは、「教育課程」とも呼ばれる。教育社会学的にいえば、それは人類・国家の文化遺産のうちから教育的に価値あるものとして選択され、教科活動・教科外活動などの区別によって分類され、教科書によって構造化され、試験によって評価され、学年段階・発達段階にそって配列されたものである。 | カリキュラムは、「教育課程」とも呼ばれる。教育社会学的にいえば、それは人類・国家の文化遺産のうちから教育的に価値あるものとして選択され、教科活動・教科外活動などの区別によって分類され、教科書によって構造化され、試験によって評価され、学年段階・発達段階にそって配列されたものである。 | ||
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この教師と子どもとの権力関係は、近代社会の位階的秩序という基本的な構造によって支えられてきた。しかし、1990年代以降、日本においては、位階的秩序はゆらいできている。その一方、機能的秩序が強まってきている。この機能的秩序とは、使えるか・使えないか、役に立つか・役に立たないかなど、知の有用性が問われるようになってきた。 | この教師と子どもとの権力関係は、近代社会の位階的秩序という基本的な構造によって支えられてきた。しかし、1990年代以降、日本においては、位階的秩序はゆらいできている。その一方、機能的秩序が強まってきている。この機能的秩序とは、使えるか・使えないか、役に立つか・役に立たないかなど、知の有用性が問われるようになってきた。 | ||
このような状態を「ハイパーモダン状態」(極端な機能性の強調状態)という。 | このような状態を「ハイパーモダン状態」(極端な機能性の強調状態)という。 | ||
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2009年1月8日 (木) 01:40の版
目次 |
カリキュラムとは
カリキュラムは、「教育課程」とも呼ばれる。教育社会学的にいえば、それは人類・国家の文化遺産のうちから教育的に価値あるものとして選択され、教科活動・教科外活動などの区別によって分類され、教科書によって構造化され、試験によって評価され、学年段階・発達段階にそって配列されたものである。 このようなカリキュラムは、「顕在的カリキュラム」すなわち、表向きのカリキュラムである。生徒たちは、この顕在的カリキュラムとしての教育課程だけではなく、「潜在的カリキュラム」すなわち、「かくれたカリキュラム」も学んでいる。それは、生徒たちが学校生活にうまく適応するためにみずから学びとった、黙示的な規範・価値・態度などである。
顕在的カリキュラム
日本の場合は、顕在的カリキュラムの内容は、基本的に文部科学省が決定している。作成の仕方としては、「学習指導要領」と呼ばれている文部科学省作成のガイドラインがあって、学校のカリキュラムは、このガイドラインにそっている。 この学習指導要領には、学年により、このことを教えるべき、一年間にこれだけの授業時間を設ける必要があるなど詳細に決められていている。そして、この学習指導要領に従いつつ、「独自」のカリキュラムを作成するということになっている。 以上のようなのを顕在的カリキュラムという。
潜在的カリキュラム
潜在的カリキュラムの内容は、暗黙のうちに子どもに強要され、暗黙のうちに子どもに了解されているということ。例えば、教師を尊敬するという態度、退屈さに耐える力、座ったまま沈黙を守るという態度、衆人環境のなかで自己表現・自己防衛する知恵など、教育関係を存立可能にしている基本的条件である。 このカリキュラムは、教育関係、教師と子どもとの権力関係(上下関係)のなかで、子どものなかで学ばれてきた。
潜在的カリキュラムの変化
この教師と子どもとの権力関係は、近代社会の位階的秩序という基本的な構造によって支えられてきた。しかし、1990年代以降、日本においては、位階的秩序はゆらいできている。その一方、機能的秩序が強まってきている。この機能的秩序とは、使えるか・使えないか、役に立つか・役に立たないかなど、知の有用性が問われるようになってきた。 このような状態を「ハイパーモダン状態」(極端な機能性の強調状態)という。
参考
「教育学がわかる事典 読みこなし使いこなし活用自在」 田中智志