AFTA

出典: Jinkawiki

(版間での差分)
2009年1月20日 (火) 17:21の版
Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録)

← 前の差分へ
2009年1月24日 (土) 13:50の版
Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録)

次の差分へ →
5 行 5 行
AFTAはASEAN Free Trade Area(ASEAN自由貿易地域)の略である。 AFTAはASEAN Free Trade Area(ASEAN自由貿易地域)の略である。
1992年の第四回ASEAN首脳会議で合意された初の本格的地域経済統合構想。 1992年の第四回ASEAN首脳会議で合意された初の本格的地域経済統合構想。
 +タイのアナン首相が1991年に提唱したもの。

2009年1月24日 (土) 13:50の版

AFTA


AFTAはASEAN Free Trade Area(ASEAN自由貿易地域)の略である。 1992年の第四回ASEAN首脳会議で合意された初の本格的地域経済統合構想。 タイのアナン首相が1991年に提唱したもの。


形成

1989年に行われた米ソ首脳会談での冷戦終焉に伴って、先進国資本や先端技術が旧東側に流れるようになった。このことから、それらの資本や技術がASEAN地域に来なくなるのではないかという危機感から、ASEAN地域をより魅力的に見せるために合意し形成した。


内容

 当初は、工業製品や資本財を中心とした15年計画だったが、関税と貿易に関する一般協定(GATT)のもとで行われたウルグアイ・ラウンドの妥結や世界貿易機関(WTO)設立などの自由化の流れを受けて、自由化の対象分野の農産物などえの拡大や期間の10年への短縮など、一層大胆な計画に切り替えた。さらに94年に経済危機に直面すると、保護主義的動きが各国で高まるのを牽制するようにASEANはAFTAの実現を加速させた。    自由化プログラムが各国に任され、中間段階で達成するべき目標は設定するものの、拘束力のある同一歩調自由化するわけではなかったASEAN独自の関税引き下げ方法は、CEPT(共通効果特恵関税)と名づけられている。この制度のもとでは、各国がどの品に、いつ、どのぐらい引き下げた関税をかけるのかというのが分かりにくく、この計画は各国の努力目標であったともいえるだろう。


参考文献:政治学辞典 弘文堂


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成