河岸段丘

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河岸段丘(かがんだんきゅう、river terrace)とは、河川の中・下流域に流路に沿って発達する階段状の地形である。 平坦な部分と傾斜が急な崖とが交互に現れ、平坦な部分を段丘面(だんきゅうめん)、急崖部分を段丘崖(だんきゅうがい)と呼ぶ。段丘面は地下水面が低く、段丘崖の下には湧水が出ていることが多い。河川がつくった低地が段丘面になったものをとくに河成段丘という。これに対して、溶岩流や火山砕屑(さいせつ)流や大規模な土石流などが流れ込んで谷底に堆積(たいせき)したり、地すべりや大きな山崩れによって谷底が埋積されたりしたために生じた河岸段丘は河成段丘とは区別される。


概要

低地が段丘になることを段丘化という。その原因は上流の山川(やまかわ)(山地河川)と下流の平川(ひらかわ)(平地河川あるいは沖積河川)とで異なる。すなわち、山川では上流山地からの砂礫(れき)供給量の増大期に河川の側方侵食作用(側刻(そっこく)作用)が盛んになって谷底が拡幅し、砂礫供給量の減少期に側刻作用が弱まって下刻(かこく)のみが進行する結果、かつての谷底が段丘化する。実際には数万年前以降の最終氷期の寒冷期に、森林限界高度が低下して山地斜面からの岩屑(がんせつ)供給量が増大したために谷底は拡幅され、厚い砂礫に埋積された。当時の谷底が厚さ数十メートルといった厚い砂礫層からなる堆積段丘として各地に残されている。その後、2万年ほど前以降の後氷期を通じて、上流山地からの砂礫供給量が減少する環境下で下刻が進行し、幅の広かった谷底がしだいに狭くなり、ついには峡谷となった。厚さ数メートルという比較的薄い砂礫層からなる数段の侵食段丘がこの過程で発達した。細粒の砂礫を大量に含む堆積段丘堆積物と比較すると、侵食段丘堆積物は粗大な残留礫を主体とする点に特徴がある。このように気候変化に伴う岩屑供給量の増減によって生じた段丘を気候段丘とよぶ。岩屑供給量の増減はこのほか、大規模な山火事や地震、あるいは火山活動や大規模崩壊に伴っても生じる。山川とは違って、平川では最終氷期の海面低下に伴って河川の下刻が進行し、その過程で数段の侵食段丘面が発達した。2万年ほど前以降の後氷期の海面上昇によって土砂が厚く堆積した平野では、これらの低い段丘面の下流部は沖積層(完新統=完新世の地層)に埋め立てられて沖積面下に埋没している。河成段丘の発達過程を理解するためには砂浜海岸に注ぐ小さな水流を観察するとよい。連続的な河床低下によって数段の段丘面が形成されるようすを見ることができる。


日本の河岸段丘

荒川が形成した秩父盆地(埼玉県秩父市)や多摩川が形成した武蔵野台地の段丘、天竜川(長野県下伊那郡部)、利根川の支流片品川(群馬県沼田市)、信濃川(新潟県中魚沼郡津南町)の段丘が有名であり、特に9段にも及ぶ津南町の段丘は日本一の規模といわれる。



参考文献

http://www.torikyo.ed.jp/tottorisizenn/kagan.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%B2%B8%E6%AE%B5%E4%B8%98


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