朝鮮戦争2
出典: Jinkawiki
2009年1月27日 (火) 12:26の版 Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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1959年6月26日、朝鮮戦争が開始された。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の指導者金日成が、韓国(大韓民国)を武力で占領して社会主義体制をしき、朝鮮半島を統一しようと企てた戦争であった。これは、中国で終わったばかりの国共内戦の朝鮮版といえる。 | 1959年6月26日、朝鮮戦争が開始された。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の指導者金日成が、韓国(大韓民国)を武力で占領して社会主義体制をしき、朝鮮半島を統一しようと企てた戦争であった。これは、中国で終わったばかりの国共内戦の朝鮮版といえる。 | ||
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金日成は電撃戦で短期間に韓国を制圧する計画をもって臨んだ。朝鮮人民軍(北朝鮮軍)には、ソ連から提供されたM34型戦車による戦車隊二旅団が配備された。また、中国人民として実戦経験を持つ朝鮮族の兵士が少なからず編入されるなど、軍事力では北朝鮮が圧倒的に優位にあった。金日成らは、戦争には簡単に勝てると予想していた。 | 金日成は電撃戦で短期間に韓国を制圧する計画をもって臨んだ。朝鮮人民軍(北朝鮮軍)には、ソ連から提供されたM34型戦車による戦車隊二旅団が配備された。また、中国人民として実戦経験を持つ朝鮮族の兵士が少なからず編入されるなど、軍事力では北朝鮮が圧倒的に優位にあった。金日成らは、戦争には簡単に勝てると予想していた。 | ||
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しかし、開戦と同時にアメリカ政府が介入を決意していたため、そのようにはいかなかった。トルーマン大統領は、いち早く北朝鮮の行動を「ギリシアの極東版」であるとし、武力介入をためらうべきではないと断じた。冷戦の理論に従い、北朝鮮の共産主義者にも一切の領土拡張を許さないとしたのである。 | しかし、開戦と同時にアメリカ政府が介入を決意していたため、そのようにはいかなかった。トルーマン大統領は、いち早く北朝鮮の行動を「ギリシアの極東版」であるとし、武力介入をためらうべきではないと断じた。冷戦の理論に従い、北朝鮮の共産主義者にも一切の領土拡張を許さないとしたのである。 | ||
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アメリカ政府は、25日夜、国連安全保障理事会に北朝鮮軍の38度線以北への撤退と北朝鮮・韓国両軍の停戦を求める決議を上程し、通過させた。トルーマンは26日夜、マッカーサーに米海・空軍の韓国出動を命令し、27日はこの地域における作戦行動の全権を与えた。国連安全保障理事会は、同日午後、北朝鮮軍を非難し、その武力攻撃を撃退する決議を採択した。国連の警察行動として武力制裁を加えることを決定したのである。 | アメリカ政府は、25日夜、国連安全保障理事会に北朝鮮軍の38度線以北への撤退と北朝鮮・韓国両軍の停戦を求める決議を上程し、通過させた。トルーマンは26日夜、マッカーサーに米海・空軍の韓国出動を命令し、27日はこの地域における作戦行動の全権を与えた。国連安全保障理事会は、同日午後、北朝鮮軍を非難し、その武力攻撃を撃退する決議を採択した。国連の警察行動として武力制裁を加えることを決定したのである。 | ||
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この間にも北朝鮮軍は韓国軍を撃破して進撃を続け、28日にはソウルを占領し入城した。これに対抗するためトルーマンは米地上軍の大規模な派遣を決意し、30日、マッカーサーに在日米軍の出動を命令した。北朝鮮軍の勢いは強く、マッカーサーはこれを阻止するために、占領軍として日本に駐留していた地上軍四個師団のすべてを出動させる必要があると判断し、ただちにこれを発令した。この時点で日本は米軍出撃のための最大拠点となり、出撃・補給などの基地として、米軍を全面的に支援する国に変えられた。 | この間にも北朝鮮軍は韓国軍を撃破して進撃を続け、28日にはソウルを占領し入城した。これに対抗するためトルーマンは米地上軍の大規模な派遣を決意し、30日、マッカーサーに在日米軍の出動を命令した。北朝鮮軍の勢いは強く、マッカーサーはこれを阻止するために、占領軍として日本に駐留していた地上軍四個師団のすべてを出動させる必要があると判断し、ただちにこれを発令した。この時点で日本は米軍出撃のための最大拠点となり、出撃・補給などの基地として、米軍を全面的に支援する国に変えられた。 | ||
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参考文献 | 参考文献 | ||
佐々木隆璽著 『占領・復興期の日米関係』 山川出版社 2008年発行 | 佐々木隆璽著 『占領・復興期の日米関係』 山川出版社 2008年発行 | ||
下斗米伸夫著 『アジア冷戦史』 中央公論社 2004年発行 | 下斗米伸夫著 『アジア冷戦史』 中央公論社 2004年発行 | ||
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最新版
朝鮮戦争
1959年6月26日、朝鮮戦争が開始された。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の指導者金日成が、韓国(大韓民国)を武力で占領して社会主義体制をしき、朝鮮半島を統一しようと企てた戦争であった。これは、中国で終わったばかりの国共内戦の朝鮮版といえる。
金日成は電撃戦で短期間に韓国を制圧する計画をもって臨んだ。朝鮮人民軍(北朝鮮軍)には、ソ連から提供されたM34型戦車による戦車隊二旅団が配備された。また、中国人民として実戦経験を持つ朝鮮族の兵士が少なからず編入されるなど、軍事力では北朝鮮が圧倒的に優位にあった。金日成らは、戦争には簡単に勝てると予想していた。
しかし、開戦と同時にアメリカ政府が介入を決意していたため、そのようにはいかなかった。トルーマン大統領は、いち早く北朝鮮の行動を「ギリシアの極東版」であるとし、武力介入をためらうべきではないと断じた。冷戦の理論に従い、北朝鮮の共産主義者にも一切の領土拡張を許さないとしたのである。
アメリカ政府は、25日夜、国連安全保障理事会に北朝鮮軍の38度線以北への撤退と北朝鮮・韓国両軍の停戦を求める決議を上程し、通過させた。トルーマンは26日夜、マッカーサーに米海・空軍の韓国出動を命令し、27日はこの地域における作戦行動の全権を与えた。国連安全保障理事会は、同日午後、北朝鮮軍を非難し、その武力攻撃を撃退する決議を採択した。国連の警察行動として武力制裁を加えることを決定したのである。
この間にも北朝鮮軍は韓国軍を撃破して進撃を続け、28日にはソウルを占領し入城した。これに対抗するためトルーマンは米地上軍の大規模な派遣を決意し、30日、マッカーサーに在日米軍の出動を命令した。北朝鮮軍の勢いは強く、マッカーサーはこれを阻止するために、占領軍として日本に駐留していた地上軍四個師団のすべてを出動させる必要があると判断し、ただちにこれを発令した。この時点で日本は米軍出撃のための最大拠点となり、出撃・補給などの基地として、米軍を全面的に支援する国に変えられた。
参考文献
佐々木隆璽著 『占領・復興期の日米関係』 山川出版社 2008年発行
下斗米伸夫著 『アジア冷戦史』 中央公論社 2004年発行