スプートニク・ショック

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2009年1月27日 (火) 16:42の版
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スプートニク・ショック(Sputnik crisis、スプートニク危機)とは、 1957年10月4日のソビエト連邦による人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げ成功の報により アメリカ合衆国の政府や社会に走った衝撃や危機感である。

スプートニク・ショックのもとは、1950年代後半に旧ソ連が人類初の無人人工衛星を地球を回る軌道上に打ち上げたスプートニク計画にある。 モスクワ時間1957年10月4日午後10時28分(日本時間5日午前4時28分)、ソビエト社会主義共和国連邦のカザフスタンにあるバイコヌール基地から R-7ロケットが飛び立った。約5分後にロケットの最終段が燃焼終了し、直径58センチメートルで重量83.6キログラムのアルミ製球体が放出された。 世界初の人工衛星「スプートニク1号」が軌道に投入されたのだ。球体には4本のアンテナが備わっていて、周波数20メガヘルツおよび40メガヘルツの 電波で0.3秒ごとに信号を送信していた。信号は世界中で観測され、「スプートニク・ショック」が駆けめぐった。 ちなみに、スプートニク (Спутник, Sputnik) という言葉は「旅の道連れ」(転じて衛星)という意味のロシア語から来ている。

 この計画以前は、アメリカは自国を宇宙開発のリーダーであり、それ故、ミサイル開発のリーダーでもあると信じていた。しかし、 スープトニク1号の成功という突然のニュースによってアメリカ合衆国は面目を失い、それに続いてアメリカの人工衛星計画「ヴァンガード計画」 の失敗は、自信すら覆し、全米をパニックに陥れた。そして、宇宙開発に本腰を入れることになる。

スプートニク1号から始まった米ソ宇宙開発競争は、ソ連のガガーリンを乗せた「ボストーク1号」による世界初の有人宇宙飛行や、 米国の「アポロ11号」による世界初の有人月面着陸などの成果をもたらした。 その後、冷戦が終結を向かえるとともに、「国際協調」が宇宙開発のキーワードとなる。国際宇宙ステーションはその象徴的存在だ。

つまり、スプートニク・ショックは冷戦のターニングポイントであった出来事といえるだろう。


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