ワシントン(初代米大統領)

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ジョージ・ワシントン George Washington(1732-99)


 アメリカ合衆国初代大統領。ヴァージニア州ウェストモアランド出身。  はじめ測量技師、軍人としての素養を積み、七年戦争直前の1755年に23歳で民兵大佐になり、フランス軍によって全滅に瀕したイギリス軍をヴァージニア義勇軍を指揮してペンシルヴァニアの荒野で救い、功を立てる。58-74年はヴァージニア代議会議員をするかたわら、農園生活に入ったが、タバコ生産の行き詰まり打開策に腐心し、プランテーション・マニュファクチュアに転向した。  本国との紛争においては、74年大陸会議の開催とともにそのヴァージニア代表、翌年にはアメリカ軍総司令官に選ばれ、以後10年、武装も規律も整わない軍隊をよく訓練してイギリス軍にあたり、独立軍の暴動・裏切りなどに耐え、戦争を完遂した。講和とともに平和な生活に戻ったが、85年ヴァージニアおよびメリーランド代表を邸宅に招いてマウント・ヴァーノン会議をひらき、連邦憲法制定会議の先鞭をつけ、87年フィラデルフィア憲法会議に臨んではその議長、89年には新連邦政府の初代大統領に選ばれた。

 大統領としては、概して財務長官であるハミルトンの財政政策に従いつつ(国務長官にはT.ジェファソンを任命した。)、フェデラリストと反フェデラリストとの均衡をはかり、94年ペンシルヴェニア西部農民の「ウィスキー暴動」を鎮圧するなど、国内秩序の回復に努めたほか、外交面ではフランス革命戦争に対して中立を宣言、またイギリスおよびスペインと各個に条約を結んで国交回復に貢献した。


96年、大統領の改選が近づき、3期留任を民主政治の発展に不適として引退を決意。引退後、対仏関係の悪化につれて再度総司令官に就いたが任務が解ける前に病死した。


参考文献

・京大西洋史辞典編纂会編 「新編 西洋史辞典 改訂増補」 東京創元社

・「岩波 西洋人名辞典 増補版」 岩波書店 


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