異国船打払令

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2009年1月28日 (水) 00:33の版
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 異国船打払令とは、1825(文政8)年、江戸幕府が出した「外国船に対する取り扱い」 についての法令。沿岸に近づく外国船を、ためらわず打ち払うよう命じたことから「無二念打払令」ともいう。もともと幕府は、外国の漂着船に対して穏便な扱いをしていたが、日本に通商を求めてきて断られたロシアが、たびたび略奪行為をしたり、イギリス船「フェートン号」の長崎港不法侵入事件や、イギリス捕鯨船の常陸大津浜・薩摩宝島上陸事件などがあり、すべての外国船(清・蘭船を除く)を打ち払うという強行措置を定めた。しかし、マカオで保護した日本人漂流民を送還するため来航した、アメリカの商船「モリソン号」にも、この打払令にしたがって砲撃を加えたため、批判が高まり、後に「蛮社の獄」をひきおこす結果にもつながる。そして、アヘン戦争で清が敗戦したことが知らされると、幕府は、この強行措置を改めざるを得なくなり、1842年、老中水野忠邦は、打払令を緩和して「天保の薪水給与令」に改めた。


背景

江戸幕府が鎖国を行ってから150年が経過すると、海外の形勢が一変し、ロシアやイギリスが日本に接近しはじめた。徳川家斉のいわゆる大御所時代は、幕藩体制の動揺・崩壊が進行しつつあった。国内的には大きな事件はなかったが、外国船の来航で幕藩体制がゆさぶられ、崩壊にむかった時代であった。


史料

 外国船来航のときの処理のしかたは、前々から数回命令され、ロシア船については文化3年に改めて命令された。イギリス船は、先年長崎で乱暴があり、近頃は所々へ船を来航させ、薪水食料を求め、昨年はみだりに上陸し、廻船の米殻、島の耕牛を略奪したり、しだいに横暴な行動をかさね、そのうえキリスト教をひろめるような行動もあった。いつまでも放置しておくわけにはいかない。イギリスに限らず南蛮・西洋は、御禁止されたキリスト教の国であるから、以後いずれの海外の村々においても、外国船が来航するのを見たら、その場所にいる人々で、ただちに打払い、逃げた場合は、追いかける必要はない。そのままにしておき、もし上陸したら逮捕し、または打ち殺してもかまわない。調査することはないから考えることなく打払いを心がけ、決心がにぶらないようにすることが大切だ。油断なく命令するようにせよ。    (御触書天保集成)


参考文献・参考URL

精選日本史史料集 第一学習社

http://www.pat.hi-ho.ne.jp/hirosilk/y251.htm


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