水俣病2

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2009年1月29日 (木) 19:42の版
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 水俣病は、工場などから環境中に排出されたメチル水銀化合物が魚などに蓄積され、この汚染された魚などを食べることで起きる中毒性の神経系の病気です。また、妊娠中の母親が汚染された魚などを食べることによって、胎盤を経由して胎児がメチル水銀中毒になり、脳性小児麻痺に似た障害をもって生まれる胎児性水俣病があります。空気や食物を通じてうつる伝染病ではなく遺伝することはない。 熊本県水俣湾周辺で昭和31 年(1956)に初めてその発生が確認されました。環境汚染により引き起こされた健康被害である水俣病と自然環境の破壊は、その被害の大きさと計り知れない影響の深刻さにおいて、人類の歴史上これまで類例がない公害と言われている。


原因

 熊本県八代海の水俣湾一帯は、魚類の産卵場として、また天然の漁礁にも恵まれた美しく豊かな海だった。しかしその水俣湾一帯で昭和20 年代後半(1950 ~)から、貝類が死んだり、魚が浮き上がったり、海草が育たなくなるなどの現象が現われはじめ、沿岸周辺では、猫が狂い死にするなどの異変が頻繁に見られるようになった。 昭和31 年(1956)4月21 日、熊本県水俣市の月浦地区の幼児が、口がきけない、歩くことができない、食事もできないなどの重い症状を訴えて、新日窒肥料株式会社水俣工場附属病院(以下「チッソ附属病院」という。現在の社名は「チッソ株式会社」で、以下本書では「チッソ」という。)に受診し入院した。 その後、同じような症状を訴える患者3人が入院することになって、同年5月1日、チッソ附属病院の細川一院長は「原因不明の脳症状を呈する患者4人が入院した」と水俣保健所(伊藤蓮雄所長)に報告した。 この日が「水俣病の公式確認日」となっている。公式確認当時は、病気の原因がわからず、奇病か、それとも伝染病ではないかとおそれられていた。 最初の患者が確認されてから、水俣保健所を中心として、水俣市、市医師会、チッソ附属病院、市立病院の調査によって、ほかにも似たような症状の患者が発見され、その年の末には、昭和28年(1953)12月から発生していた54人の患者とそのうち17 人が死亡していることが確認された。 その後も、原因究明に長時間を要したことなどもあって、八代海沿岸地域に水俣病の発生拡大は続いた。


発生状況

 平成16 年(2003)3月末現在、行政により認定された患者の数は、熊本県1,775 人、鹿児島県490人の合計2,265 人に上っている。 水俣病の発生から40 年以上経ち、生存患者数は同月末現在748 人。なお、現在も、少数の新たな患者の認定がなされているが、いずれも過去に水俣病が発症した人達であり、昭和43 年(1968)5月にチッソのアセトアルデヒド製造が停止され、昭和44 年(1969)から数年後には、新たに水俣病が発生する危険性はなくなったと考えられている。

*参考資料*

・水俣病資料館 http://www7.ocn.ne.jp/~mimuseum/

・中学地理用語辞典 山川出版社


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