卑弥呼2
出典: Jinkawiki
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女王卑弥呼と邪馬台国の謎
戦争によって、ムラとムラの統合がすすんだ弥生時代、日本の記録がはじめて歴史書に姿をあらわした。しかし、日本の歴史が日本人の手によって書かれるのは、もっと先のことである。この頃、日本について書かれているのは中国の歴史書である。紀元前1世紀に書かれた『漢書』、1世紀に書かれた『後漢書』などがあるが、中でも3世紀に書かれた『魏志』倭人伝には、当時の日本の様子が詳しく書かれている。 3世紀の前半、戦争のまっただなかだった日本を邪馬台国の卑弥呼という女王が治め、平和を取り戻したいと言った。そして、239年、卑弥呼は中国の魏に使いを送り、「親魏倭王」の称号を受けた。『魏志』倭人伝には、卑弥呼は「鬼道を事とし、能く衆を惑わす」と書いてある。「鬼道」すなわち呪術や占いを司る、シャーマン女王だったと思われる。卑弥呼には弟がいて、実際には、この弟と二人で国を納めていたようだ。
邪馬台国は、どこにあった?
現在では、邪馬台国が畿内か九州にあったということは、ほぼ間違いないとされ、畿内説VS.九州説が火花をちらしている。
参考文献:「らくらく入門塾 日本史講義」 小和田哲男著 ナツメ社 ・ 「人物で分かる日本の歴史」 数学研究社