白虎隊
出典: Jinkawiki
(版間での差分)
2009年1月30日 (金) 00:43の版 Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
最新版 Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録) |
最新版
戊辰(ぼしん)戦争期における会津藩の少年正規軍。1868年(慶応4)正月の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに敗れた旧京都守護職の会津藩主松平容保(かたもり)は、維新政府への抗戦を主張、徳川慶喜(よしのぶ)が恭順の態度を示すや、帰藩して軍事力の強化を図った。同年3月には軍制を洋式に改め、部隊を年齢別に編成して、18~35歳を朱雀(すざく)隊、36~49歳を青龍(せいりゅう)隊、50歳以上を玄武(げんぶ)隊、そして16、7歳の少年で結成されたのが白虎隊であった。兵員数は300余名であった。主力は朱雀、青龍で、玄武、白虎はいわば予備軍であったが、新政府軍の攻撃にあい、白虎隊も従軍。8月23日、命を受けて出撃した白虎隊士20名が若松城北東の飯盛山(いいもりやま)で自刃(じじん)して果てたのは、会津戦争の有名な哀話である。
参考URL http://www.tv-asahi.co.jp/byakkotai/ http://www.tsurugajo.com/history/byakotai1.htm