浄土信仰

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2009年1月30日 (金) 00:51の版
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浄土とは清浄な世界のことであり、仏教のそれぞれの仏が持っている国、仏の治める世界のことである。また対になる言葉は穢土(えど)で、不浄な世のことを指す。

浄土信仰は奈良時代にはあり、その頃は死者の死後を祈るものであった。 平安時代に盛んになる浄土信仰は、自らが阿弥陀仏の極楽浄土へ往生することを願うものである。

目次

概要

始まりは円仁という僧が中国より不断念仏(念仏三昧法:一定期間中絶えず称名念仏を唱えながら阿弥陀如来を思い念じる修行法)を比叡山に伝えたことである。

平安時代は末法に入る時代であった。末法とは末法思想の言葉であり、釈尊入滅後から二千年経った時のことである。そのころには釈尊の教えはあれど修行も悟りもなく、現世での救いがない時代になるというもの。ちょうど当時の寺では、上層の僧は貴族出身のものが占め世俗化し、また下層の僧は僧兵となり乱暴をはたらくような世相だったこともあって、末法思想は現実味を帯びて貴族や庶民の間に広まっていった。そして現世に救いがないのであれば死後、阿弥陀仏にすがって極楽往生を遂げたいという思いも高まり、末法思想と共に浄土信仰は広まることになった。

貴族の間では浄土信仰が流行する以前にも浄土への信仰があり、弥勒信仰(現世に救世主が現れる)とともに行われていた。だが現世の救いようのなさにだんだんと浄土信仰へ一本化されていく。


浄土信仰と関係のある人物

  • 空也

平安時代の僧は国の管轄下にあるいわば公務員であり色々な制約があった。その中で庶民の救済も出来ない状況に嫌気がさして私度僧となり個人で活動するものが現れた。その一人が空也であり、空也は庶民にも浄土教を広め「市聖」と呼ばれた。

  • 源信

『往生要集』極楽往生のための具体的な方法を載せ、庶民の間でも読まれた。

  • 藤原頼道

平等院建設も浄土信仰によるもの。鳳凰堂は別名阿弥陀堂であり、安置されているのは阿弥陀如来坐像である。


浄土信仰と関係のある著作

『日本極楽往生記』 慶滋保胤 阿弥陀信仰によって極楽往生を遂げたとされる人たちの話を集めた

『往生要集』 源信 極楽往生のための具体的な方法を載せた


鎌倉時代以降の浄土信仰

  • 浄土宗(法然)

阿弥陀仏を心に浮かべず、称名念仏のみを認めた「専修念仏」

  • 浄土真宗(親鸞:法然の弟子)

「横超断四流」を提唱。横超とは即時に往生が決まることで、四流とは「生」「病」「老」「死」であり、この四流を断ち切ることで初めて浄土に往生できるとした

  • 時宗(一遍)

昔の法蔵比丘の誓願により衆生は救われているので「南無阿弥陀仏」と書いた札を民衆に配り(賦算)、既に救われていることを教えて回る。阿弥陀仏の絶対性は「信」すらも不要、念仏を唱えることのみで極楽往生できると説いた。晩年には踊念仏を始めた


参考文献・URL

ウィキペディア:浄土教
豊前市HP:浄土信仰と浄圓寺
京都通百科事典:浄土宗
世界遺産 平等院
濱島正士編 1988 『図説日本の仏教三 浄土教』新潮社


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