日本人の形成

出典: Jinkawiki

(版間での差分)
2009年1月30日 (金) 04:15の版
Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録)

← 前の差分へ
最新版
Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録)


最新版

日本人の形成 日本人を含むアジア人(モンゴロイド)は南方アジア人(古モンゴロイド)と北方アジア人(神モンゴロイド)に分けられる。北方アジア人は氷期の高緯度地方の、極端に寒冷な気候に適応して出現した人々である。その特徴は体温を保持するために体の体積が大きくなり(胴長)しかも体温を逃がさないように皮膚面積が小さい(短い手足)。体の凹凸が少なく、水分の多い目を凍らせないように厚い一重まぶたが普通である。これに対し寒冷適応を起こさなかった南方アジア人は、より古い形態を保っていると考えられる。現代日本人には北方アジア人的特徴が色濃く認められるが、形質人類学上は日本人の基層は南方アジア人であったと考えられている。日本の縄文時代人は低身長で、顔が幅広く高さが低く、凹凸に富んでいた。旧石器時代の人骨も同様の特徴を持つため、縄文人の直接の先祖であったと考えられる。これらの人々の特徴は、南方アジア人の範疇に属するものである。しかし遺伝学の分野では、縄文人はアジアの北方との関係が深いといわれている。縄文人と弥生人の骨から抽出したミトコンドリアDNAを解析した研究によれば、縄文人は現在の日本本土の日本人や沖縄の住民、アイヌ、朝鮮半島住民、モンゴル人と近縁な関係にあり、東南アジア人や南太平洋の人々とはあまり関係がなかったという。考古学の証拠からも、旧石器時代に日本列島とアジア大陸北部の沿海州やシベリアとの強い文化的つながりが認められる。 寒冷適応を遂げた北方アジア人の特徴が日本列島の人骨に現れてくるのは弥生時代から古墳時代である。この時期、朝鮮半島から相当数の人々が日本列島へ渡来し、稲作をはじめ、多くの文化や技術をもたらした。これらの人々は縄文人に比べて高身長を特徴とし、弥生時代に北部九州や山口県西部に移住し、在地の縄文人と混血を重ねながら全国へ広がっていった。現代日本人の遺伝子の分析によれば日本人はアイヌ・沖縄の人々と、それ以外の人々という二つのグループに分かれる。日本列島の北と南の人々が、中間の本土の日本人をはさんで互いに類似するということは、北と南の端の縄文人の特徴が保持されてきたと考えれば説明できる。

参考文献 山川出版社「詳説日本史研究」


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成