治安維持法

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2009年1月30日 (金) 12:37の版
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治安維持法

治安維持法とは、国体の変革と私有財産制の否認を目的とする結社の組織者や加入者を弾圧するため、1925年に制定された法律のことである。

流れ・・・第二次護憲運動によって成立した護憲三派連立の加藤内閣は、首相の加藤高明が岩崎弥太郎の長女との結婚による三菱副支配人の出身であること、外交官を経験していること、そして政党の総裁であることを押さえることによって、どういう性格の内閣であったということが知ることができる。まずは外交官出身という顔から協調外交を推進しました。これは、1925年に締結された日ソ基本条約によっても示されている。ところが、ソ連との国交を樹立するということは、共産主義思想が日本に加速度をつけて流入するということも意味していました。これが加藤首相の悩みとなっていたと言われる。また、護憲三派内閣が掲げた普選断行により、選挙権における納税制限がなくなれば共産主義者が議会へ進出し、議会を通じた社会主義革命が起こってしまう可能性もあった。そこで、それを防ぐために、治安維持法を制定し、さらに言えば、これは資本主義が前提である三菱の利権を守るためでもあったと言われている。加藤内閣は日ソ基本条約の締結以降、今後活発化するであろうと予想される共産主義者の活動に対し、治安維持法を制定することによってその影響が広がることをあらかじめ抑えていた。そのうえで、普通選挙法を成立させたといわれ、現在では普通選挙法と治安維持法を飴と鞭のような関係になぞらえている。

治安維持法の制定から改正 制定・・・[1925] 第一次加藤高明内閣 最高刑は10年

改正・・・[1928] 田中義一内閣    最高刑は死刑

再改正・・[1941] 第二次近衛文麿内閣 予防拘禁性の導入

参考:まるわかり日本史


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