享保の改革2
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享保の改革
1716年~1745年
江戸幕府の財政を立て直すために8代将軍・徳川吉宗は家康の政策への復帰を訴えていく。政治政策的にはそれまでの側近政治を改め、将軍独裁による武断政治をおこなった。そして経済政策的には米を重視した政策を打ち出した。吉宗は借金に訴訟に幕府は介入しないとして、事実上、旗本・御家人を救済する相対済し令や大岡忠相などの優秀な人材を登用足高の制、目安箱による小石川養生所や町火消の設立などを実施していった。また、諸大名に参勤交代の負担を軽くする代わりに、一万石につき百石ずつを上米の制によって納入させたほか、その年の収穫量に応じて年貢率で決める検見法から、一定の年数は同じ年貢率を徴収する定免法へと改めた。
(1) 政治刷新
① 相対済し令・・旗本・御家人の救済
② 石高の制・・・人材登用
③ 公事方御定書・・裁判の基準(大岡忠相による)
④ 目安箱・・・・小石川養生所・町火消
(2) 経済政策
① 四公六民→五公五民
② 上米の制・・(1722~30年)一万石に百石→在府期間半減
③ 新田開発・・年貢増徴策
④ 定免法・・・年貢増徴策
⑤ 堂島米市場・株仲間の公認
⑥ 漢訳洋書輸入の禁緩和
(3) 結果
享保の大飢饉→百姓一揆・打ちこわし増大、人口も伸びはなくなった
参考:まるわかり日本史