大恐慌とニューディール
出典: Jinkawiki
2009年1月30日 (金) 15:48の版 Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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現在テレビやニュースで盛んに大不況のことが取り上げられている。以前にアメリカのウォール市場で株価が大暴落した時のような状態だ。以前の大恐慌を見ていきたいと思う。
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大恐慌
1920年代のアメリカは繁栄を極めた。29年に大統領に就任した共和党のハーバート・フーヴァーは、アメリカの未来が希望に満ちてることを信じて疑わなかった。しかし同年秋の「暗黒の木曜日」に、ニューヨークの株式は大暴落し、大恐慌が発生した。大恐慌は、農業不況、大企業による寡占経済、生産過剰、実体経済の裏付けのない株式投機、欧州経済の停滞など、複合的な要因によって生じた深刻な不況だった29年から33年までに約10万の企業が倒産し、国民総生産は半減し、失業者は労働人口の4分の1(1300万人)にもおよぼんだ。フーヴァー政権も不況対策を行ったが、基本的には経済の自動調整能力に期待するという態度であった。そのような共和党政権に不満を抱く国民が多く、32年の大統領選挙では民主党候補のフランクリン・S・ルーズベルトが圧倒的な勝利をおさめた。
ニューディール政策(新規まき直し)
1933年、ローズヴぇルト大統領は、就任後最初の100日間を利用して「ニューディール」と総称される一連の不況克服策に着手した。新政権の最初の100日間は、議会との密月期であり、政策の施策が通りやすいのだ。第一次ニューディールの主要な立法である農業調査法(AAA)と全国産業復興法(NIRA)は、のちに最高裁の違憲判決を受けるが、それほど斬新で積極的な内容であったといえるのだ。35年の第2次ニューディールでは全国労働関係法(ワグナー法)や社会保障法が制定された。ニューディールは結果的に失業者をなくし不況を克服するには至らなかったがこれを機にアメリカは福祉国家へと転換していった。
ニューディールの意義
ニューディール前のアメリカは●夜警国家●小さな政府●議会主導の政治●共和党優位 とされてきたが、ニューディール後のアメリカは○福祉国家○大きな政府○政府主導の政治○民主党優位と変化していったのである。
現在のグリーンニューディール
現在世界で100年に1度といわれている恐慌が再び働く人々の生活を苦しめている。今月に就任したオバマ新大統領が「グリーンニューディール政策」というものを発表した。ニューディール政策(−せいさく、New Deal)は、アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトが世界恐慌を克服するために行った一連の経済政策。新規まき直し政策とも[1]。それまでアメリカの歴代政権が取っていた古典的な自由主義的経済政策(政府は市場には介入せず、経済政策も最低限なものにとどめる)から、政府がある程度経済へ関与する社会民主主義的な政策へと転換したものであり、第二次世界大戦後の資本主義国の経済政策に大きな影響を与えた。世界で初めてケインズの理論を取り入れたと言われる(ウィキペディアから)この政策を成功させるためにも以前のニューディール政策の問題点や課題だった点、を踏まえた上で施行していかなければならないのだ。オバマ新大統領がアメリカにとってよい影響をもたらしてくれるのかどうかを、今現在世界が注目している。
参考文献
西岡達裕著 アメリカ ナツメ社
楠井敏郎著 アメリカ資本主義とニューディール 日本経済評論社
yahoo百科事典http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB/