ホーチミン市
出典: Jinkawiki
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ベトナム南部の都市。旧名サイゴン。1975年までベトナムの首都であったが、北ベトナムによる統一とともに現名に改められた。人口345万人(2004)は同国最大である。広大なメコン川デルタの北に連続するサイゴン川デルタに位置し、河口から97km上流にある。標高は10mで、河港をもちサイゴン川の川幅はここで250~300m、水深も10mに及ぶため、外洋船も楽に遡航出来る。 この地域は元来カンボジアの勢力圏でクメール族らが住んでいたが、17世紀にベトナム人がこの地方に進出した。その後18世紀末には清朝の支配から逃れ、中国からこの地に移住してくる人が多く、南西に隣接するチェロンは中国人の町となった。19世紀中ごろから、フランスの植民地となった。 ホーチミン市街はフランス風の都市計画に従ってつくられた美しい市街で、かつては〈東洋のパリ〉と称されたほどであった。 この年は第2次世界大戦後急速に都市化した地域で、スラムも混在する最も庶民的なベトナムの居住地区となっている。人口もフランスの占領当時は1万3000人程度であったが、第2次世界大戦直前には15万となり、ベトナム戦争の末期には地方からの難民が集中し350万を超えた。南ベトナム政府の崩壊、北による統一とともに社会主義政策が施行され、資本主義色の払拭が図られている。このため、これになじまない市民や、とくに裕福な中国系家系の大量脱出があり、ベトナム難民として世界に大きな問題を投じた。 統一ベトナム政府のもとで、ホーチミン市は新たな生き方を迫られている。
下中直人 世界大百科辞典26 1988 平凡社