芥川龍之介

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2009年1月30日 (金) 23:00の版
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人物

芥川龍之介は、辰年辰月辰日(1892(明治25)年3月1日 - 1927(昭和2)年7月24日)生まれで、龍之介と名づけられた。新思潮派を代表する作家である。

生い立ち

出生後、まもなく実母が発狂して母の実家芥川家で養育されることとなった。養父は芥川道章(みちあき)である。芥川家は、明治維新以前には江戸城のお数寄屋坊主(江戸幕府の職名。数寄屋頭の配下で、将軍をはじめ出仕の幕府諸役人に茶を調進し、茶礼・茶器をつかさどった)を勤めた旧家であった。道章の代になっても、江戸の文人的・通人(ある事柄、特に趣味的なことに精通している人)的趣味をとどめていてそのことが芥川龍之介の文学的資質を形成する大きな力となった。

芥川の文才は小学校時代から発揮されて、回覧雑誌を編集したりしている。府立第三中学校を優秀な成績で卒業し、第一高等学校へ無試験で入学した。同級生に、菊池寛・久米正雄・恒藤(つねとう)恭らがいた。大正2年(1913)に東京帝国大学英文科に入学し、翌年には第三次「新思潮」を創刊させて本格的な創作活動を開始した。

同じころに芥川は初恋を体験した。相手は吉田弥生という、芥川の生家とは親の交流があった家の娘であった。芥川は彼女に求婚しようとしたけれども、芥川家の反対によって断念せざるを得なかった。この恋愛体験によって、芥川は人間の醜さやエゴイズムの根強さを思い知らされた。そして、人間存在そのものが苦であると考える厭世観( この世の中では幸福や満足を得られず、積極的な価値は認めがたいとする人生観。悲観主義。)を抱くまでに至った。このような体験を背景にして書かれたのが「羅生門」である。

芥川の死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川龍之介賞」を設けた。芥川賞は直木賞と並ぶ文学賞として現在まで続いている。


前期の作品

第四次「新思潮」創刊号(大正5年2月)に発表した短編「鼻」が夏目漱石に大いに褒められ、文壇(文学界)に登場した。「鼻」は題材を「今昔物語集」に得た作品であったけれども、芥川の初期作品は、「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」に題材したものが多く、「羅生門」(大正4)・「芋粥」(大正5)・「地獄変」(大正7)などがある。

題材を得たものは、さらに広く、「戯作三昧(げさくざんまい)」(大正6)・「枯野抄(かれのしょう)」(大正7)などの江戸物や「奉教人の死」(大正7)・「きりしとほろ上人伝」(大正8)などの切支丹物、「舞踏会」(大正9)・「雛」(大正12)などの開化物、さらには「蜘蛛の糸」(大正7)・「杜子春」(大正9)などのインドや中国に取材した作品もある。


後期の作品

「秋」(大正9)を契機に芸術至上主義の立場から離れていった。保吉物(やすきちもの)と呼ばれる私小説を経て、自伝小説「大導寺信輔の半生」(大正14)に到達した。最晩年の芥川は。プロレタリア階級の台頭に伴う社会変動と自身の健康を損ねたことによって、自己存在の不安に神経をすりへらしていった。そして、そのような自分を描いた「蜃気楼」(昭和2)や、世相と自身を戯画化した「河童」(昭和2)を書き、ついには自己の生命を絶った。

芥川の自殺は、知識人の運命を示すものと受けとめられ、同時代の人々に大きな衝撃を与えた。遺稿に、「歯車」「或阿呆の一生」(あるあほうのいっしょう)がある。



作品について

「鼻」

短編小説。『今昔物語集』の「池尾禅珍内供鼻語」と『宇治拾遺物語』の「鼻長キ僧の事」に取材した作品。禅智内供が自分の異様に長い鼻を短くしようとする苦心を描いて、人間の自尊心のもろさと傍観者の利己主義とを語っている。

「羅生門」

短編小説。『今昔物語集』の「羅城門登上層見死人盗人語」に取材した作品。人間は生きるためには必然的に悪をかかえこむことになり、その悪を許すことができるのは、やはり悪しかないのだ、という暗い人生観が描かれている。


『羅生門』末尾より

「では、己が引剥(ひはぎ)をしようと恨むまいな。己もさうしなければ餓死をする体なのだ。」下人はすばやく、老婆の着物を剥ぎとつた。それから、足にしがみつかうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数へるばかりである。下人は剥ぎとつた檜肌色の着物をわきにかかへて、またたく間に急な梯子を夜の底へとかけ下りた。

しばらく、死んだやうに倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起こしたのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくやうな、うめくやうな声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這つて行つた。さうして、そこから、短い白髪を倒にして、門の下を覗きこんだ。外には、唯、黒洞々たる夜があるばかりである。下人の行方は、誰も知らない。


「河童」

短編小説。現代の世相とその中に生きる芥川自身の姿を河童の世界に託して描いた、寓意小説である。ある精神病者の回想の形で河童の国の物語を展開させ、人間存在に対して、厳しい批判を加えた風刺小説。芥川が晩年に描いていた焦燥感や、世相に対する嫌悪がうかがわれる。


「歯車」

短編小説。題名の「歯車」は、「地獄よりも地獄的」な人生を生きていると信ずる主人公の、目の中にあらわれる幻影である。死を目前にした芥川の神経が錯乱のままに書きとめられている。


新思潮派

大正中期以降、白樺派に代わって文壇の主流を占めた新現実派のうち、「新思潮」によった東大系の一派。

東京帝国大学の学生たちがだしていた同人雑誌「『新思潮』によって文壇に出た人々である。芥川龍之介・菊池寛・久米正雄・山本有三・豊島与志雄らである。社会の暗い現実や人間の姿をつき放して観察し、理知による新しい解釈を加え、繊細な技巧によって描くことを試みた。

第一次は明治40年(1907)小山内薫(おさないかおる)が創刊。

第二次は同43年に小山内薫・谷崎潤一郎ら。

第三次は大正3年(1914)に山本有三・久米正雄・菊池寛・芥川竜之介ら。

第四次は同5年に芥川・菊池・久米らが創刊。

以後、十数次に及ぶ。


参考・引用文献

「ビジュアル解説 原色シグマ 新日本文学史」  秋山 虔・三好 行雄編著 文英堂

「日本史B用語集」 山川出版社

yahoo!大辞泉

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B


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