セツルメント運動

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2009年1月31日 (土) 09:33の版
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      『はじめての社会福祉』櫻井慶一著 学分社 2005       『はじめての社会福祉』櫻井慶一著 学分社 2005
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セツルメント運動の始まりと発展

 セツルメント(Settlement)は、1880年代のイギリスにおいて、知識や教養のある学校教育や学生、教会関係者など中級階級の人たちが、都市の貧困地域(スラム)に移り住み、労働者階級、とりわけ貧困に苦しむ人々に対して直接触れ、生活を共にすることによって生活状態を改善する架橋的運動として始まった。

 その基盤には、19世紀半ばの産業資本主義から独立資本主義へ移行する過程で、生産手段から切り離された賃金労働者の増加、労働者とその家族の都市への集中、資本家による激しい搾取による労働者の貧困状態と、それに抵抗する労働者の運動の広がりがあった。イギリスにおいては、1833年に監督官を設置した本格的な工場法が確立したのち、労働者は成年男子の選挙権などを求めたチャーリスト運動を展開していった。そして、その過程で広まった民主思想と運動の教訓の中から、段々と労働者教育を社会改良的手段による改革への志向が生み出されてきたのは事実である。

 このような運動の背景にセツルメントは、中級階級の人々が個人的な接触による友人関係の関係の形成を通じて、労働者階級の物質的かつ精神的欲求を満たし、同時に教育の機会を提供し、意識の社会覚醒を促すことによって、労働者が自発的に自己の文化を創造するとともに、失業や差別や社会的不平等のない社会制度の実現を目指す社会改良運動の一形態として生成、発展したのである。

 トインビーホール(Toynbee holl)は初期のセツルメント運動の中で、「セツルメントの母」と呼ばれている。トインビーホールは1884年にサミュエル・バーネット(Samuel Barnenell)によってロンドン・イースンネンドに設立された。キリスト教の牧師であったあ彼の働きは、学生や大学人、教会関係者と協力して、労働者教育、レクリエーション、文化活動、貧困調査、対策の要求運動などに取り組んだ。


アメリカと日本のセツルメント運動

 アメリカの初めのセツルメントは、1886年にスタントン・コイツ(Stanton coit)によってニューヨークに作られた「隣人ギルド」である。シカゴでは、ジェーン・アダムス(Jane Addamus)がハル・ハウス(Hull House 1889)を設立したのが始まりである。

 日本のセツルメント運動は、岡山博愛会(1891年)と片山潜による東京・神田のキングスレー館(1897)が最も早いものとして知られている。米騒動以降には、大正デモクラシーを背景として、キリスト教系および仏教家のセツルメントや隣保館が、大学セツルメントとしては東京帝大セツルメント(1924)が設立された。また、地域福祉が注目されるなかでセツルメントの思想と実践の意義が問い直されている。

参考文献:『セツルメントの研究』大林宗嗣著 同人者書店 1926

      『はじめての社会福祉』櫻井慶一著 学分社 2005


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