ディエンビエンフーの戦い2
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2009年7月3日 (金) 22:30の版
ディエンビエンフーの戦い(Battle of Dien-bien-phu)
第一次インドシナ戦争 / 1954年3月13日~5月7日
概要
インドシナ戦争末期、ベトナム北西部のディエンビエンフーに置かれたフランス軍拠点をめぐる攻防戦。ベトナム民主共和国軍は1954年4月25日から包囲。猛攻を始め、5月7日占領。この結果、7月ジュネーブ会議で休戦協定が成立。
詳細
ボー・グエン・ザップ司令官指揮下4万のベトナム民主共和国軍(以下、ベトミン軍)は、105mm砲24門、155mm砲4門をもつフランス軍に対し、200門以上の火砲をもって包囲し、外郭陣地を次々と奪っていった。空中補給も、フランスは62機を追撃されて成功せず、守備隊は弾薬が尽き、アメリカの強力な支援にもかかわらず、5月7日、司令官デ・カストリ代将以下1万人が降伏、約5000人が戦死した。翌8日から開かれたジュネーブ会議の結果、7月21日休戦成立。フランスのインドシナ支配は終った。これにより、敗北したフランス側は和平を模索し、勝利を収めたベトナム民主共和国側は、独立が承認された。
参考文献
百科事典 マイペディア
ブリタニカ国際大百科事典
Searchina NEWS ([1])