ヘレン・バンナーマン

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2009年7月31日 (金) 06:17の版
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'''ヘレン・バンナーマン''' '''ヘレン・バンナーマン'''
-'''ヘレン・バンナーマン'''とは、「ちびくろサンボ」をはじめとする数多くの子ども向けの物語で知られる、イギリス人児童文学作家・絵本作家である。1862年、スコットランドの主都エディンバラで一家の長女として生まれた。1889年に夫の任地であるインドに赴き、以後1918年までそこに住んだ。その後エディンバラに戻り、1946年に死去した。彼女は、10冊の本を遺している。+'''ヘレン・バンナーマン'''とは、「ちびくろサンボ」をはじめとする数多くの子ども向けの物語で知られる、イギリス人児童文学作家・絵本作家である。1862年、スコットランドの主都エディンバラで一家の長女として生まれた。1889年にイギリスの軍医だった夫の任地であるインドに行き、以後1918年までそこに住んだ。その後エディンバラに戻り、1946年に死去した。彼女は、10冊の本を遺している。
-最初に広く知られるようになった岩波書店刊の『ちびくろ・さんぼ』(光吉夏弥訳)で「へれん・ばんなーまん」と表記されたため、この表記が一般的であるが、「バナマン」あるいは「バナーマン」とする方が正しい。イギリスの軍医だった夫に同行し、インド滞在中に自分の娘たちのために私家版として作ったのが『ちびくろさんぼのおはなし(The Story of Little Black Sambo)』である。この絵本をはじめ、作品の多くの主人公が、添えられたイラストからも、南インド、もしくはタミルの子どもだと推測されるのはこのためである。+最初に広く知られるようになった岩波書店刊の『ちびくろ・さんぼ』(光吉夏弥訳)で「へれん・ばんなーまん」と表記されたため、この表記が一般的であるが、「バナマン」あるいは「バナーマン」とする方が正しい。インド滞在中に自分の娘たちのために私家版として作ったのが『ちびくろさんぼのおはなし(The Story of Little Black Sambo)』である。この絵本をはじめ、作品の多くの主人公が、添えられたイラストからも、南インド、もしくはタミルの子どもだと推測されるのはこのためである。
-彼女の描いたイラストや物話自体には、人種差別的な強調は含まれておらず、一般的に子どもの利巧さや発想の才能を褒める物語が多い。しかし、本来私家版として作られた絵本を商業的な出版とする過程で著作権の混乱があり、アメリカではオリジナルとは異なるイラストによる別本が多数出版され、その中には主人公をアフリカ系の黒人のように描いたものも多かった。また、「サンボ」という主人公の名前は、アメリカでは黒人に対する蔑称でもあったため、これらの絵本は世界各地で発売禁止になったり、図書館での閲覧が制限されたりすることがあった。+彼女の描いたイラストや物語自体には、人種差別的な強調は含まれておらず、一般的に子どもの利巧さや発想の才能を褒める物語が多い。しかし、本来私家版として作られた絵本を商業的な出版とする過程で著作権の混乱があり、アメリカではオリジナルとは異なるイラストによる別本が多数出版され、その中には主人公をアフリカ系の黒人のように描いたものも多かった。また、「サンボ」という主人公の名前は、アメリカでは黒人に対する蔑称でもあったため、これらの絵本は世界各地で発売禁止になったり、図書館での閲覧が制限されたりすることがあった。
-日本で1953年に出版された岩波版『ちびくろ・さんぼ』もアメリカで1927年に出版されたフランク・ドビアスのアフリカ黒人風のイラストを用いたものであった。そのためもあって、1988年に岩波版を含むほとんどすべての『ちびくろ・さんぼ』が自主的に絶版とされた。その後、ヘレン・バナマン自身によるオリジナルは『ちびくろさんぼのおはなし』(灘本昌久訳)として1999年に径書房から出版された。旧岩波版『ちびくろ・さんぼ』は、2005年に瑞雲舎によって『ちびくろ・さんぼ』(イラストはフランク・ドビアス)『ちびくろ・さんぼ2』(イラストは岡部冬彦)として復刊された。+日本で1953年に出版された岩波版『ちびくろ・さんぼ』もアメリカで1927年に出版されたフランク・ドビアスのアフリカ黒人風のイラストを用いたものであった。そのためもあって、1988年に岩波版を含むほとんどすべての『ちびくろ・さんぼ』が自主的に絶版とされた。その後、ヘレン・バンナーマン自身によるオリジナルは『ちびくろさんぼのおはなし』(灘本昌久訳)として1999年に径書房から出版された。旧岩波版『ちびくろ・さんぼ』は、2005年に瑞雲舎によって『ちびくろ・さんぼ』(イラストはフランク・ドビアス)『ちびくろ・さんぼ2』(イラストは岡部冬彦)として復刊された。

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ヘレン・バンナーマン

ヘレン・バンナーマンとは、「ちびくろサンボ」をはじめとする数多くの子ども向けの物語で知られる、イギリス人児童文学作家・絵本作家である。1862年、スコットランドの主都エディンバラで一家の長女として生まれた。1889年にイギリスの軍医だった夫の任地であるインドに行き、以後1918年までそこに住んだ。その後エディンバラに戻り、1946年に死去した。彼女は、10冊の本を遺している。 最初に広く知られるようになった岩波書店刊の『ちびくろ・さんぼ』(光吉夏弥訳)で「へれん・ばんなーまん」と表記されたため、この表記が一般的であるが、「バナマン」あるいは「バナーマン」とする方が正しい。インド滞在中に自分の娘たちのために私家版として作ったのが『ちびくろさんぼのおはなし(The Story of Little Black Sambo)』である。この絵本をはじめ、作品の多くの主人公が、添えられたイラストからも、南インド、もしくはタミルの子どもだと推測されるのはこのためである。 彼女の描いたイラストや物語自体には、人種差別的な強調は含まれておらず、一般的に子どもの利巧さや発想の才能を褒める物語が多い。しかし、本来私家版として作られた絵本を商業的な出版とする過程で著作権の混乱があり、アメリカではオリジナルとは異なるイラストによる別本が多数出版され、その中には主人公をアフリカ系の黒人のように描いたものも多かった。また、「サンボ」という主人公の名前は、アメリカでは黒人に対する蔑称でもあったため、これらの絵本は世界各地で発売禁止になったり、図書館での閲覧が制限されたりすることがあった。 日本で1953年に出版された岩波版『ちびくろ・さんぼ』もアメリカで1927年に出版されたフランク・ドビアスのアフリカ黒人風のイラストを用いたものであった。そのためもあって、1988年に岩波版を含むほとんどすべての『ちびくろ・さんぼ』が自主的に絶版とされた。その後、ヘレン・バンナーマン自身によるオリジナルは『ちびくろさんぼのおはなし』(灘本昌久訳)として1999年に径書房から出版された。旧岩波版『ちびくろ・さんぼ』は、2005年に瑞雲舎によって『ちびくろ・さんぼ』(イラストはフランク・ドビアス)『ちびくろ・さんぼ2』(イラストは岡部冬彦)として復刊された。


作品

1 『ちびくろサンボの物語』、1899

2 『ちびくろミンゴの物語』、1901

3 『ちびくろクィバの物語』、1902

4 『ちいさな鍋頭の物語』、1903

5 『パットと蜘蛛』、1904

6 『めいわく猿の物語』、1906

7 『ちびくろクォシャの物語』、1908

8 『ちびくろボブテイルの物語』、1909

9 『サンボとふたごの物語』、1936

10 『ちびしろスクィバの物語』、1966(ヘレン・バナマンの没後に娘のデイがイラストを描いたとされる。)

<参考文献>

「さよならサンボ」 著エリザベス・ヘイ ゆあさふみえ訳 1993、平凡社

http://www.ehonnavi.net/author.asp?n=3759

http://www.kgef.ac.jp/ksjc/ronbun/910010y.htm


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