資本論

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第1部は資本の生産過程の研究である。 巨大な資本主義社会の諸現象の内、最も単純な概念である商品の分析から出発する。商品経済は必然的に貨幣を生み、マルクスは第1部冒頭で、「資本」という概念が登場する以前の「商品経済」すなわち市場経済の研究を行っている(資本主義より時間的に前に存在した市場経済という意味ではなく、論理的前提として存在している市場経済という意味)。 第1部は資本の生産過程の研究である。 巨大な資本主義社会の諸現象の内、最も単純な概念である商品の分析から出発する。商品経済は必然的に貨幣を生み、マルクスは第1部冒頭で、「資本」という概念が登場する以前の「商品経済」すなわち市場経済の研究を行っている(資本主義より時間的に前に存在した市場経済という意味ではなく、論理的前提として存在している市場経済という意味)。

2010年2月12日 (金) 12:35の版

資本論とは

資本論はカールマルクスの著作である。マルクスは、「新ライン新聞」の編集者として、物質的な利害関係を扱う過程で、次第に、社会変革のためには物質的利害関係の基礎をなす経済への理解の必要性を認識し、経済学研究に没頭していった。

1843年以来、マルクスは経済学の研究を開始する。亡命先のパリでの研究から始まり、9冊の『パリ・ノート』、6冊の『ブリュッセル・ノート』、5冊の『マンチェスター・ノート』などとしてその成果が残っている。なお、これらのノートは、いずれも『資本論』草稿ではない。

1849年、マルクスはロンドン亡命後、大英図書館に通って研究を続け、1850年 - 1853年までの成果として『ロンドン・ノート』24冊を書き上げた。これはマルクスのノート中、最大分量を占める経済学ノートであるが、この時期のノートの内容には国家学、文化史、女性史、インド史、中世史、また時事問題など、内容の異なる多くの論が併存しており、この時期にマルクスの研究が経済学批判に特化したとはいえない。

マルクスが経済学批判に関する執筆にとりかかったのは1857年からである。これは商品・貨幣を論じるごく一部のものにとどまり、『経済学批判、第一分冊』として1859年に刊行された。また、この時期の原稿は『経済学批判要綱』『剰余価値学説史』として、マルクスの死後に出版された。『経済学批判』という題でマルクスが最初に構想していたのは全6編であったが、それは後に『資本論』全4部構成に変更された。

マルクスの『資本論』構想は理論的展開から成る第1部 - 第3部と、学説史から成る第4部であった。しかしマルクスの生前に刊行されたのは第1部(諸版があり、独語初版、改訂第2版、マルクス校閲仏語版、ロシア語版)のみで、あとに残ったのは膨大な経済学批判に関するノート類である。現在それらの草稿の多くはアムステルダム社会史国際研究所、あるいはモスクワの現代史文書保管・研究ロシアセンターに保管されている。


資本論の構成

第1部は資本の生産過程の研究である。 巨大な資本主義社会の諸現象の内、最も単純な概念である商品の分析から出発する。商品経済は必然的に貨幣を生み、マルクスは第1部冒頭で、「資本」という概念が登場する以前の「商品経済」すなわち市場経済の研究を行っている(資本主義より時間的に前に存在した市場経済という意味ではなく、論理的前提として存在している市場経済という意味)。

機械などの生産手段や貨幣はそのまま資本になるのではなく、ある歴史的条件の下で「資本」に転化することを明らかにする。その決定的な条件が、生産手段のブルジョアジー(資本家階級=生産手段の所有者)の独占と、身分としても所有からも自由となった(排除された)プロレタリア(労働力商品)の存在であった。(マルクスの経済学はリカードなどが唱える労働価値説に立脚し、価値とは労働者の労働時間であるという前提から出発していた)。こうして「自己増殖する価値の運動体」である資本の概念が登場する。資本はいつの時代にも存在するものではなく、歴史的な存在であるとマルクスは本書で主張している。


労働(兵器生産)資本(その人格化としての資本家)は、労働力商品を購買し、労働者には労働力商品の再生産費分(労働力価値)だけを「労賃」として等価交換し、資本はその労働力価値分を超えて価値を生み出させるように働かせる。この超えた部分が「剰余価値」となり、資本がこれを取得する。等価交換という商品経済の原則を守りながら、生産過程の中で新たな価値を生み出す——これがマルクスが明らかにした搾取(労働力が生み出した価値-不当に低く抑えられた労賃=剰余価値) のシステムである。 家内工業と工場における児童の恐るべき搾取。「……ついにイギリス議会さえも、初等教育を工場法の適用をうける全産業における14歳以下の子どもを『生産事業』に使用するための必須条件としてうたわなくてはならなくした」(『資本論』)。しかしこの工場法はたとえ不完全ではあるにせよ、児童労働の使用にさいしては初等教育を必須条件と声明したのであった。「その成功は、はじめて学習と体操とを肉体労働に結合させ、したがって、肉体労働と学習および体操との結合を可能ならしめたことであった」(『国民教育と民主主義』)「工場制度からは、ロバート・オーエンの研究によってもっと詳しくなるように、一定年齢以上の子どもたちのために生産労働と体育とを結合する将来の教育の芽ばえが生まれているのであって、これは社会の生産力の向上方法になるのみでなく、全面的に発達した人々をつくる唯一の方法になるであろう」(『資本論』)

教育と生産的労働の結合とはどういうことか、クルブスカヤはマルクスの次の言葉を引用している。「資本主義的制度による家族制度の破壊がいかに恐るべきものであり、いかにいまわしいものであるにせよ、それにもかかわらず、大規模工業は、婦人、男女両性の少年児童にたいして、家庭外の、社会的に組織された生産過程において負わせている決定的な役割によって、より高い家庭形態のために、より高い男女両性間の関係のために、新しい経済的な基盤をつくっている。もちろん、キリスト教的、チュートン的な家庭の形態を、相互に一つの歴史的発展系列をなす古代ローマ、古代ギリシアあるいは東洋的形態のように、絶対だと考えるのはばかげている。男女両性およびあらゆる年齢の人々を労働によって結合する総員をつくることも、これとちょうど同じように――労働者は生産過程のために存在するのであって、生産過程が労働者のために存在するのではないという自然な粗野な資本主義的形態では、それは堕落と奴隷の伝染源であるとしても――適当な条件の下では、反対に、人間個性の発達の源泉にならなくてはならない」(『資本論』)。子どもたちが(女性もまたそうであるが)社会生産に参加するということ、ここに決定的な意味がある。それによってより高い家族関係の、より高い男女関係の基盤がつくられるのだ。「適当な」条件の下では人間個性発達の源泉になる。


最後にクルブスカヤはマルクスの作成した1866年の第一インターナショナルの決議を引用している。子どもは生産労働に参加しなくてはならない、「それは人は食うためには頭ばかりでなく両手で働かなくてはならぬ、という自然の一般法則についてすべての成人が例外がないのと同じである」。「……この教育には三つのことを考えている即ち、①知育、②体操学校と軍事教練でやるような体育、③総合技術教育、あらゆる生産過程の一般的な原理を教え、それと固持に、青少年にあらゆる生産の基本的な工具を使用する実際的な習熟を与えるもの。……知的発達、体育訓練、総合技術教育と償われる生産労働との結合は、労働者階級を現在の上・中流社会の水準よりずっと高いところへ押しあげるであろう」


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