銃剣

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

2010年2月12日 (金) 16:42の版

銃剣(じゅうけん)とは、銃に装着する武器(刀剣)の一つである。小銃のように比較的長い銃身を持つ銃の先に取り付け、槍や薙刀のようにして用いる。また、銃剣を装着できる小銃のことを「銃剣銃」と称することがある。また、歴史的には、江戸末期から昭和初期頃までは着剣状態の小銃を「剣付き鉄砲(けんつきでっぽう)」とも言った。


歴史

 銃剣は17世紀、フランスのバイヨンヌで起きた農民同士の争いから偶然に発明された。この時、興奮した農民が、マスケット銃の銃口にナイフを差込み、相手に襲い掛かったと伝えられている。当時はマスケット銃を用いた銃兵隊が組織されていたが、マスケット銃は単発射撃しかできず、戦闘においては射撃と射撃の合間に敵の歩兵や騎兵の突撃を受ける恐れが高く、突撃を許すと近接戦闘の手段が剣しかない銃兵はひとたまりも無かった。このため当時は、銃を持つ兵士の傍には常にパイク(槍に似た長い棒状の武器)を装備する槍兵を置く必要があったが、銃剣の採用により銃兵は敵の歩兵や騎兵の突撃を独力で迎撃することが可能になった。それにより役目のなくなった槍兵は銃兵に更新されると共に、全歩兵を銃兵とすることが可能となり、戦闘能力の向上につながった。

形状はソケット型装着方式の「槍型」とサバイバルナイフ形状の「剣型」がある。初期には柄を銃口に差し込み用いるソケット式が開発されたが、装着状態では次弾が装填できないという欠点があり、さらに敵に突き刺すと簡単に抜けてしまい次の攻撃が出来なかった。この欠点を改良した物として銃の右横に出る形で取り付けるタイプが発達した。これは当時の銃が前装式(先込め式)だったため、装填作業が行えるよう右側につける形になったものである。その後、後装式長銃が発明されたのと同時期に、銃口の下部に銃剣設置用の器具が取り付けられ始めた。槍型も一部で用いられたが、大部分は剣型であり、両方共に、突く事も斬る事も(叩く事も)出来る型式であった。

しかし、その後、銃剣は衰退の一途をたどる。歩兵の銃剣突撃や騎兵の槍突撃を主体とする戦法に変化をもたらしたのは、20世紀にはいって実用化された機関銃をはじめとする自動火器の発達である。日露戦争では初めて重機関銃が登場し、大規模な白兵戦が行なわれ銃剣は依然有効な武器であったものの、敵陣地を攻撃する歩兵に重大な損害が生じるようになった。第一次世界大戦では機関銃と鉄条網により陣地防御力が飛躍的に増大し、適所に配置された機関銃一丁で歩兵1個大隊(数千人規模)の突撃を阻止できるとまで言われた。大戦初期に従来戦術からの発想転換ができない司令官の命令で繰り返し行われた敵陣地への騎兵や歩兵の横一線での突撃はしばしば一方的な大虐殺の様相を呈し、銃剣突撃では敵陣地の突破がほとんど不可能であることが明らかになり、戦況は塹壕戦として膠着した。この状況を打破したのは大戦末期の戦車の登場だったが、以後欧州では攻撃用兵器としての銃剣の時代は終わったと言える。


 第一次世界大戦のフランス歩兵連隊第二次世界大戦では歩兵用の自動火器がさらに発達し、銃剣の有効性はいよいよ低下して日本軍以外の参戦国では主要兵器ではなくなった。だが日本では銃剣は日本陸軍独特の精神論と結びつき、銃剣突撃は第二次大戦の終了まで歩兵部隊の主要戦術と位置づけられ続けた。このため後に圧倒的火力を備えた米軍陣地に対する肉弾突撃など、被害のみ大きい自殺的戦術が各地で頻発する結果になった。

第二次世界大戦後は近接戦闘に使用される歩兵の装備はサブマシンガンやアサルトライフルに移り、どんなに火力の貧弱な軍隊でも自動火器を装備するようになったため、攻撃戦術として銃剣突撃が行われる事は少なくなった。しかし不意の遭遇戦等、歩兵が接近戦を行う機会は近現代戦にもあり、減少こそしたが銃剣には一定の需要が未だ存在する。現代の軍用火器にも銃剣が装着可能で、多くの国の軍隊で依然として銃剣格闘の訓練が行われている。


 日本の銃剣の歴史

日本には天保年間、高島秋帆の「洋式調練」以来、幕末期に洋式銃と共に導入された。

大日本帝国陸軍では、銃剣のみ配備された部隊があり、小銃の代わりに「戦場ニ於テ着剣銃ニ代用スベキ刺突用具」というサポート機材を作成使用していた。ただし、白兵戦で刺突に使用した銃剣は、その衝撃で照準器がずれることが多く、照星や照門の微調整をやり直す必要があった。

日露戦争〜太平洋戦争に使われた大日本帝国陸軍の三十年式銃剣は、全長40cmあまりのうち先端から19cmの処迄しか刃が付いていない。銃剣は突き刺すための槍として使う刃物であり、日本刀のように切り付けることを目的としていないのでこれでよかったのである。実際に同年代の諸外国でも突き刺すことのみの銃剣も多い。しかし、当時の日本人の感覚としては日本刀には鍔元まで刃があるのが普通であったため、各自がヤスリで削ったりして刃を付けた物が多く存在した。しかしその場合、刃の部分に硬化処理などをせずにただ削っただけのものがほとんどで、粗悪な密造刃物と同様のものである。したがって、それらを実際に叩きつけたりすれば、容易に刃が欠けたり潰れたりすることは確実であったと推測される。


現代に残るスポーツとしての銃剣

 今もなお、軍事の武器兵器として使用されている銃剣であるが、日本では大日本帝国軍のころに作られた銃剣術を基にした銃剣道というものがある。全日本銃剣道連盟が統括している。剣道で使用されるそれに似た防具と肩と呼ばれる心臓部(左肩から胸部分を守る)防具をつけた者同士が、蒲英(たんぽ。ゴム製のクッション)を先端に付けた木銃を用いて、一対一で突き、当てる競技である。現在の自衛隊の銃剣訓練には、この銃剣道と、戦後に制定された自衛隊銃剣格闘が併用されている。後者は棒術に近く、銃剣道の様な銃剣による刺突攻撃だけでなく、斬撃や小銃の銃床を利用した殴打(叩く)の他、弾倉による打撃攻撃が一般的に加わった物を指す。


参考文献

『日本陸軍がよくわかる事典』 太平洋戦争研究会著


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