アンリ・ベルクソン
出典: Jinkawiki
2010年8月2日 (月) 22:16の版 Daijiten2009 (ノート | 投稿記録) (→参考・引用文献) ← 前の差分へ |
2010年8月2日 (月) 22:16の版 Daijiten2009 (ノート | 投稿記録) (→参考・引用文献) 次の差分へ → |
||
68 行 | 68 行 | ||
== 参考・引用文献 == | == 参考・引用文献 == | ||
ベルクソン―――〈あいだ〉の哲学の視点から 篠原資明 | ベルクソン―――〈あいだ〉の哲学の視点から 篠原資明 | ||
+ | |||
+ | いじげん |
2010年8月2日 (月) 22:16の版
アンリ・ルイ=ベルクソンは(1859年10月18日-1941年1月4日)フランス・パリ生まれの哲学者である。20世紀の哲学者、文化人に多大な影響を与えた。
年譜
1859年 10月18日、パリに生まれる。父ミシェルはポーランド系ユダヤ人の音楽家、母はイギリス人。
1877年 全国数学コンクールで一等賞を獲得し、その解法が翌年『新数学年報』に掲載される。
1878年 エコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)入学。
1881年 教授資格試験に合格。
1883年 『ルクレティウス抜粋』
1889年 博士号取得、主論文『意識に直接与えられたものについての試論』(邦訳名『時間と自由)副論『アリストテレスの場所論』
1891年 ルイーズ・ヌービュルジェと結婚。ルイーズの親類マルセル・プルーストが新婦付き添い役をつとめる。
1896年 『物質と記憶』
1897年 コレージュ・ド・フランス講師。
1898年 エコール・ノルマル・シュペリウール講師。父ロンドンで死去。
1900年 『笑い』。コレージュ・ド・フランス(ギリシア・ローマ哲学講座)教授
1901年 フランス哲学会で講演「心身平行論と実証的形而上学」。道徳・政治学アカデミー会員
1903年 「形而上学入門」(『形而上学・倫理学雑誌』)
1904年 道徳・政治学アカデミーで講演「ラヴェソンの生涯と実績」。ジュネーブの濃交際哲学会で講演「心理―生理的誤診推理」。コレージュ・ド・フランス(現代哲学講座)教授
1907年 『創造的進化』
1911年 ボローニャの国際哲学会で講演「哲学的直観」。オックスフォード大学で講演「変化の知覚」。バーミンガム大学ハクスリー記念講演「意識と生命」
1912年 「信仰と生活」サークルで講演「心と身体」
1913年 ロンドンの心霊研究協会で講演「≪生きている人のまぼろし≫と≪心霊研究≫」
1914年 道徳・政治的アカデミー議長、アカデミー・フランセーズ会員。エディンバラ大学ギフォート・レクチャーで講義。『創造的進化』がカトリック禁書目録に入れられる。
1917年 アメリカへ使節として派遣される。
1919年 『精神のエネルギー』
1922年 コレージュ・ド・フランス名誉教授。国際連盟の第一回国際知的協力委員会議長。『持続と同時性』
1923年 A・ティボーデ『ベルクソン哲学』
1925年 リューマチの最初の発作。第一回国際知的協力委員会委員を脱退。
1927年 ノーベル文学賞受賞者に決定(実際の受賞は翌年)
1930年 レジオン・ドヌール最高勲章を授与される。
1931年 V・ジャンケレヴィッチ『アンリ・ベルクソン』
1932年 『道徳と宗教の二源泉』
1933年 『思想と動くもの』
1937年 遺言書に署名し、生前公刊されたもの以外の出版を禁じる。パリの国際哲学会(デカルト『方法序説』刊行三百年記念学会)名誉会長となり、メッセージを送る。
1941年 1月4年。ナチス・ドイツ占領下のパリで死去。
思想
参考・引用文献
ベルクソン―――〈あいだ〉の哲学の視点から 篠原資明
いじげん