オッリペッカ・ヘイノネン元フィンランド教育大臣

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== 人口500万人程度の国故「平等教育の重要性」を説く == == 人口500万人程度の国故「平等教育の重要性」を説く ==
「ひとりひとりの教育レベルが高くなければなりません。教育で大切なのは'''機会の平等'''なのです。その基盤があって初めて、世界の頂点に立てる高い水準の人材を育成することができます。教育はいわば'''投資'''です。これは''国の競争力に関する問題''なのです。」との言葉を残している。 「ひとりひとりの教育レベルが高くなければなりません。教育で大切なのは'''機会の平等'''なのです。その基盤があって初めて、世界の頂点に立てる高い水準の人材を育成することができます。教育はいわば'''投資'''です。これは''国の競争力に関する問題''なのです。」との言葉を残している。
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 +== ヘイノネン氏の教育改革 ==
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 +最大のポイントは教育現場に大きな裁量権をもたせ、子どもたちに教える内容や考え方を、現場の教師が自由に決められるようにした。
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 +クラスの人数は地方自治体と学校が判断する。20人前後の少人数が中心だが、科目によってさらには半分にすることが可能
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 +国が定める指導要領はあるが、改革前に比べて教育の目標や授業内容についての項目が大幅に減った
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 +教科書の検定もなく、教師たちはインターネットも利用して自ら教材を準備し、学校ごとに独自のカリキュラムをつくっている
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 +以前はフィンランドでも教育省や国家教育委員会など、国が中心となって教育の内容、教材の選択や指導内容、指導方法、授業の時間数などを事細かに定めていたが、90年代にヘイノネン氏たちが行った改革で、自治体への大幅な権限の委譲が行われた
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 +地方自治体と学校の裁量で、ほとんどのことが決められるようになり、国はおおまかな到達目標を示すだけになった
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 +== 改革の現場への影響 ==
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 +現場の教師は大きな自由を手にした。その一方で大きな責任を委ねられた。学校には大きな自治権が与えられており、人事権さえも校長が握っている。ただし、フィンランドの校長は日本の校長と違い通常の授業も担当しており指図するような権威ではない。裁量権が学校に移ったことで、教師の意欲が高まり、それぞれ工夫を凝らした授業が次々に生まれている。改革は現場の先生にも好評である。

2011年1月31日 (月) 23:41の版

目次

略歴

1964年生まれ。ヘルシンキ大学法学修士号修得。中学校教師を経て、1991~94年までフィンランド教育大臣特別顧問を務める。1994年~99年まで教育大臣、1999年~2002年まで運輸通信大臣を歴任後、2002年にYLE(フィンランド国営放送)の取締役に就任。番組製作にも携わり、現在に至る。ほかにも、内閣委員会、経済審議会など、政治経済に関する委員会、理事会にに所属する一方で、子どもの教育、スポーツ、社会活動、音楽、福祉、教会などに関する多くの委員会、理事会の委員を務め、多方面に活躍。


フィンランドを世界一の学力へ

経済協力開発機構(OECD)が世界の15歳児を対象に2000年から3年ごとに行っている学習到達度調査(PISA)で、2000年と2003年の2回続けて「学力世界一」と評価された。その「学力世界一」の礎を築いたのが1994年から教育大臣に就任した当時29歳のヘイノネン氏である。


国を救った教育

1994年のフィンランドは深刻な不況の真っただ中であり、失業率が大変高く、経済状態は非常に悪かった。国の問いとして「どうすればフィンランドがこの不況から脱することが出来るか?」が争点になった。そしてその結論は「投資」をすることで決まる。それもその投資先を企業ではなく人にすること。企業に投資したとしてもその企業はいずれ他国に出て行ってしまうかもしれない。しかし、人という資源に投資した場合、その人はそこにとどまる可能性が高い判断したのだ。その戦略は大成功。教育に投資したことで、研究開発も活発になり、情報通信という新たな産業が育ち、たくさんの雇用が生まれた。フィンランドは教育の力によって少しづつ不況から抜け出すことへ。 ※また教育を支出として捉えず投資と捉え議会が全会一致するような国民性も大きな要因であることを補足しておく。


人口500万人程度の国故「平等教育の重要性」を説く

「ひとりひとりの教育レベルが高くなければなりません。教育で大切なのは機会の平等なのです。その基盤があって初めて、世界の頂点に立てる高い水準の人材を育成することができます。教育はいわば投資です。これは国の競争力に関する問題なのです。」との言葉を残している。


ヘイノネン氏の教育改革

最大のポイントは教育現場に大きな裁量権をもたせ、子どもたちに教える内容や考え方を、現場の教師が自由に決められるようにした。

クラスの人数は地方自治体と学校が判断する。20人前後の少人数が中心だが、科目によってさらには半分にすることが可能

国が定める指導要領はあるが、改革前に比べて教育の目標や授業内容についての項目が大幅に減った

教科書の検定もなく、教師たちはインターネットも利用して自ら教材を準備し、学校ごとに独自のカリキュラムをつくっている

以前はフィンランドでも教育省や国家教育委員会など、国が中心となって教育の内容、教材の選択や指導内容、指導方法、授業の時間数などを事細かに定めていたが、90年代にヘイノネン氏たちが行った改革で、自治体への大幅な権限の委譲が行われた

地方自治体と学校の裁量で、ほとんどのことが決められるようになり、国はおおまかな到達目標を示すだけになった


改革の現場への影響

現場の教師は大きな自由を手にした。その一方で大きな責任を委ねられた。学校には大きな自治権が与えられており、人事権さえも校長が握っている。ただし、フィンランドの校長は日本の校長と違い通常の授業も担当しており指図するような権威ではない。裁量権が学校に移ったことで、教師の意欲が高まり、それぞれ工夫を凝らした授業が次々に生まれている。改革は現場の先生にも好評である。


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