ジャワ原人
出典: Jinkawiki
2011年8月2日 (火) 23:50の版
1981年にジャワ島のソロ川で発見されたことから、その名がついた。 原人が東アフリカ大地溝帯の外に移住し始めたのは約150~130万年前のことで、最初は似た環境にある死海地溝帯に沿って少しづつユーラシアに浸透していった。 しかしアフリカに匹敵するほどの生活しやすい場所はなかった。だが、およそ100万年前に現在のインドネシアで適応する場所を見つけた。
当時は寒い時期(氷期)と暖かい時期(間氷期)が数万年ごとに繰り返す「氷河期」だった。氷期には海の水は雪や氷河となって陸を覆っていた。このため浅い大陸棚は干上がって広大な陸地となった。氷期にはベーリング海峡やジブラルタル海峡が陸続きになり、シベリアと北アメリカや、アフリカとヨーロッパが歩いて行き来できるようになった。同様なことがインドネシアにも起こっていた。 スマトラ、ジャワ、カリマンタン島がマレー半島とつながり、周囲の広大な大陸棚(スンダ陸棚)も陸化していった。この大陸は「スンダ大陸」と呼ばれている。スンダ大陸は狭い海峡を隔てて、オーストラリアとパプア島及びその周辺大陸棚が一体化した「サフル大陸」に連なっていた。
スンダ大陸は豊富な動植物に恵まれた温暖な地域で、氷期アフリカの湿潤な環境によく似ていた。そこにやってきたアフリカ生まれの原人は、スンダ大陸に住み着き、「ジャワ原人」としての進化の道を歩み始めました。
ジャワ原人は100~65万年前にかけ、「パチタン文化」「サンギラン剥片石器文化」と呼ばれる文化を繰り広げて、生きていた。彼らの道具箱には、ヨーロッパの前期旧石器文化を特徴付ける「ハンドアックス(握斧)」と呼ばれる代表的石核石器が見あたらず、代わりに雑な作りのチョッパーとかチョッピングトゥールとかいう礫器が多いのが特色で、これは後進性・停滞性を表すのではなく、ハンドアックスで死肉を漁ったり堅いものを割って食べたりする必要もなく、チョッパーやチョッピングトゥールで木の根をほじったり、柔らかい果物を食べたり、小動物を捕まえたりしてのんびり暮らしたジャワ原人の生活の安逸さを示している。
スンダ大陸はジャワ原人以外のアジアの原人の進化の舞台ともなった。
参考文献
旺文社 中学総合的研究社会
インドネシア歴史探訪 http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/indonesia/index.html