袁世凱
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李鴻章の死後、中国北部の軍閥の指導者となる。 | 李鴻章の死後、中国北部の軍閥の指導者となる。 | ||
軍閥を率いて清の実力者になり、義和団の弾圧にあたった。 | 軍閥を率いて清の実力者になり、義和団の弾圧にあたった。 | ||
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- | 辛亥革命が起こると、孫文のあとを受けて中華民国の大総統の地位につき、清朝を滅亡させた。 | + | 辛亥革命が起こると、孫文のあとを受けて中華民国の大総統の地位につき、清朝を滅亡させた |
その後、独裁政治を行い、第一次世界対戦時には、日本の二十一か条の要求を受け入れた。 | その後、独裁政治を行い、第一次世界対戦時には、日本の二十一か条の要求を受け入れた。 | ||
2011年8月10日 (水) 07:16の版
袁世凱(1859~1916)
清朝末期の洋務運動に参加、寝返って戊戌の政変(1898)を起こした。 李鴻章の死後、中国北部の軍閥の指導者となる。 軍閥を率いて清の実力者になり、義和団の弾圧にあたった。
辛亥革命が起こると、孫文のあとを受けて中華民国の大総統の地位につき、清朝を滅亡させた その後、独裁政治を行い、第一次世界対戦時には、日本の二十一か条の要求を受け入れた。
参考文献 「日本史B用語集」山川出版 「歴史用語辞典」正進社