アラブの春

出典: Jinkawiki

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目次

概略

アラブ諸国でおこった、長く続いてきた独裁政治に対抗する抗議デモや暴動が激化する、民主化運動の広まりである。2010年12月にチュニジアから始まり、エジプトやリビア、イエメンにも波及し、独裁政権が次々と崩壊した。交流サイトのフェイスブックで広まったことから「インターネット革命」とも呼ばれる。また、チュニジアで起こった革命は「ジャスミン革命」と呼ばれている。「アラブの春」という名称は「プラハの春」になぞらえてつけられた、とされている。


事件の発端

「アラブの春」の始まりともいえる「ジャスミン革命」の発端は2010年12月17日に起こった一人の若者の自殺である。その若者は、この若者はチュニジア中部の都市シディブジッドで、果物などを売って普通の生活を営んでいたが、12月、警察が「許可なく販売行為をしている」という理由で、販売に使う荷車を没収した。生計への道を断たれたその若者は、絶望して抗議のために焼身自殺した。この事件がチュニジア全土で国民の怒りに火をつけて、各地で警察署などへの抗議・焼き打ちが頻発に起こるようになった。そして、本格的な暴動へと拡大していき、政府は夜間外出禁止令を発令し、軍隊まで投入してなんとか事態の鎮静化を図った。しかし、軍部も政府に対して不満を持っていたため、ベンアリ大統領には従わなかった。そして、1月14日、ベンアリ大統領とその家族はサウジアラビアに脱出し、ベンアリ政権が崩壊した。この運動が周辺諸国に拡大していった。


経済的な影響

「アラブの春」が与えた経済的な影響は550億ドル(4兆4千億円)といわれている。リビアは最も 影響を受けた国で、GDPの28%超に当たる77億ドルが失われた。財政収支はGDPの約29%相当の65億ドルも悪化した。エジプトでは、9か月にわたる騒乱の中でGDPの約4.2%が失われた。歳入が7500万ドル減少する中で、歳出は55億ドルになった。イエメンでは、貧困ライン以下でクラス国民が15%超に上昇した。GDPの6.3%相当が失われ、財政収支もGDPの44.9%に当たる8億5800万ドル悪化した。チュニジアでは、観光・鉱業・燐酸・漁業などのほぼ全部門がマイナス影響を受けており、GDPの5.2%相当の20億ドルが失われた。歳出は7.46億ドル増加したものの、財政収支は4.89億ドルの赤字と成っている。


参考文献

・ニュースがわかる中東・北アフリカの紛争地図―世界の枠組みを変えた「フェイスブック革命」の衝撃   著:世界情勢を読む会


・月刊ジュニアエラ1月号(2011年12月15日発売)

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