バース党
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2012年8月9日 (木) 15:05の版
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バース党
バース党の結党当初の目標は、西洋によって線引きされた既存の国家群を解体し、統一したアラブ民族による国家を建国することが目的であり(バース党のシンボルにも表されている)、その領土は西は北アフリカのモーリタニアから、東はイランのフーゼスターン州、南は東アフリカのソマリアまで含まれる。
バース党は、ハンナ・バタートゥによればソ連型社会主義(スターリン主義)の影響は濃いものの、初代首相のカーシムが1958年から1959年の間政権を握りイラク共産党寄りになると、イラクのバース党がクーデターをおこしたと言われる(ただし、カシーム政権は共産党と距離を置き始めた時期にあり、アル=バクル政権下はさらにソ連寄りの傾向を強めて、入閣もさせている)。一方、シリアのバース党は共産党と連立するなど容共であった。
バース党の源流は20世紀の初頭にさかのぼることが出来、シリア人の思想家ミシェル・アフラク(1910年 - 1989年)らによって基本的な政治信条が形成されていった。第1回の公式の党大会は1947年4月7日にダマスカスで開催、最初は軍の少壮将校や知識人など限られた層で成り立っていたが、次第に影響力を強め1954年 - 1958年にシリアを本拠にイラク・レバノン・ヨルダン・イエメンに党地域指導部を置いた(カタールとチュニジアにも存在したが、両国政府により非合法化される)。しかし、イラク・バース党がシリア・バース党の影響下に入ることを嫌い、自主独立路線を掲げてシリアの指導下から離脱。その他諸国のバアス党もレバノンを除いてイラクの路線に従った。
参考URL
http://kotobank.jp/word/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%85%9A