リビア

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

2013年8月5日 (月) 20:25の版

リビアは、北アフリカに位置する共和制国家。東にエジプト、南東にスーダン、南にチャドとニジェール、西にアルジェリア、北西にチュニジアと国境を接し、北は地中海に面し、海を隔てて旧宗教国のイタリアが存在する。首都はトリポリである。 アフリカ世界と地中海世界とアラブ世界の一員であり、アフリカ連合とアラブ連盟に加盟している。アラブ・マグレブ連合にも加盟しており、広義のマグリブ諸国にも含まれる。

歴史

20世紀初頭の伊土戦争により、1911年にはイタリア王国がリビアを植民地化した。植民地後にはイタリア人が入植したが、サヌーシー教団のオマール・ムフタールやベルべル人による激しい抵抗が繰り広げられ、1926年からイタリアのロドルフォ・グラッツィアーニによる厳しい弾圧が行われたが、特にフェザーンでの抵抗は激しく、リビアの完全平定は1932年にまでもつれこんだ。 第二次世界大戦中には連合国と枢軸国の間で激戦が繰り広げられた(北アフリカ戦争)。イタリアの敗戦により、戦後は英仏の共同統治領とされた。 1949年の国際連合の決議により、1951年にキレナイカ首長国、トリポリタニア、フェッザーンの3州の連邦制によるリビア連合王国として独立した。キレナイカの首長であり、サヌーシー王国に即位した。1963年に連邦制は廃止され、リビア王国が成立した。 その後はイスラーム主義や社会主義やカダフィが著した「緑の書」に基つく国家を建設を目指し、対外的にはソ連に接近して援助を受けた。1970年代から1990年代まで数々のテロを支援したため、アメリカやイギリスなどの欧米諸国と敵対した。1985年に発生した西ヨーロッパでの一連のテロ事件により経済制裁を受け、1986年にはアメリカ軍によって空爆(リビア爆撃)されたが、その報復として1988年にパンナム機を爆破(パンアメリカン航空103便爆破事件)した。 2011年、カダフィ打倒を旗印にしたリビア国民評議会とカダフィ政権側の間での内戦が勃発。一時期はカダフィ政権側が評議会側の拠点だったベンガジ進攻寸前まで至ったが、NATO(北大西洋条約機構)を中心に、評議会側を軍事的に支援。同年8月23日に評議会軍が首都トリポリを制圧。10月20日にカダフィがスルトで射殺され、42年間続いたカダフィ政権は崩壊。

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