モンゴル
出典: Jinkawiki
2013年8月6日 (火) 02:44の版
面積 156万4,100平方キロメートル(日本の約4倍)
人口 281万1,600人(2011年,モンゴル国家統計委員会
首都 ウランバートル(人口128万7,100人)
民族 モンゴル人(全体の95%)及びカザフ人等
言語 モンゴル語(国家公用語),カザフ語
宗教 チベット仏教等(社会主義時代は衰退していたが民主化(1990年)以降に復活。1992年2月の新憲法は信教の自由を保障。)
政体 共和制(大統領制と議院内閣制の併用
~略史~
1911年 辛亥革命,中国(清朝)より分離,自治政府を樹立
1919年 自治を撤廃し中国軍閥の支配下に入る
1921年7月 活仏を元首とする君主制人民政府成立,独立を宣言(人民革命)
1924年11月 活仏の死去に伴い人民共和国を宣言
1961年 国連加盟
1972年2月 日本とモンゴル外交関係樹立
1990年3月 複数政党制を導入,社会主義を事実上放棄
1992年2月 モンゴル国憲法施行(国名を「モンゴル国」に変更)
~内政~
民主化後6回の総選挙では毎回政権交代が行なわれてきている。
2012年の総選挙に際しては,2008年総選挙後に発生した暴動という惨事を繰り返さないために,投開票の公正性の確保や少数派政党への配慮の観点から,中選挙区・比例代表並立制の導入,投票に際する指紋認証,マークシート方式による電子投票を導入する等の大幅な選挙制度改革が実施された。選挙戦は,本年1月まで大連立政権を構成していた与党人民党と最大野党民主党の間に政策的争点を欠いた状況下,野党民主党が過半数を獲得できるかに注目が集まった。 6月末の投・開票の結果,いずれの政党も過半数を確保できない中,民主党が31議席を獲得して第1党になり,人民党は16議席を失う25議席と大敗を喫した。また,人民党から分離した人民革命党を含む公正選挙連合は,11議席を獲得して躍進した。
7月6日,臨時会が招集され,新議員69名の宣誓を行ったが,野党となった人民革命党は議長選出の事前協議をめぐる解釈の相違等を理由として議事をボイコット,審議の空転が続いていた。各党間の協議の結果,8月9日になって,人民党がボイコットの中止を表明,議会運営が正常化し,アルタンホヤグ民主党党首の首相任命案が可決された。アルタンホヤグ首相は,5省を新たに設置し16省19閣僚体制とする省庁再編を実施,8月20日までに組閣を終えた
アルタンホヤグ内閣は,安定的な経済,民主的で公平な政策決定,公正な富の分配などに重点を置いた,2012年から2016年の政府行動計画を作成した。
~経済~
2010年に6・4%の成長を遂げたモンゴル経済は、2011年には実に17・3%の経済成長率を実現し、この圧倒的な成長は今も続いている。IMF(国際通貨基金)は2012年のモンゴルの成長率を12・7%と推定している。だが、最近の見事な経済成長は鉱業というたった一つの産業の成長、別の言い方をすれば資源開発バブルで説明できる。銅、金、石炭、ウラン、スズ、タングステンなどの鉱物資源の存在が確認され、現地にはオーストラリア、カナダ、中国、フランス、ロシアの企業が殺到している。
~主要産業~
鉱業,牧畜業,流通業,軽工業
参考文献
外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/mongolia/ モンゴルの歴史と文化 岩波文庫 ハイシッヒ (著), 田中 克彦 (翻訳)