ゲリラ

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

2013年8月6日 (火) 23:48の版

一般に不正規兵による相手を混乱させる遊撃的な戦闘方法や戦闘部隊をさし、もともとは「小さな戦争」を意味するスペイン語である。


歴史

正規、軍の活動と連動しながら、独立した小部隊で敵の側面や後方に急襲・偵察を行うことは、すでに18世紀には「小隊」とよばれて、西欧諸国の軍隊でも採用されていたが、19世紀の初めにナポレオンの支配に反対して、スペイン人の小部隊が多数反仏抵抗運動を展開したために、ゲリラが「小隊」の通称となった。ナポレオンはロシア戦役でもゲリラ(パルチザン)に悩まされている。ドイツの兵学者クラウゼウィッツはこうしたゲリラの闘争を、『戦争論』のなかで、侵略者に対する国民的な抵抗戦争の重要な要素として位置付けている。 19世紀はさらに、東欧の少数民族の反乱活動や、普仏戦争期の占領地でのフランス人の抵抗運動でも、ゲリラ型の武力闘争が採用されているが、列強の植民地位牌の拡大とともに、各植民地での反乱や抵抗にも、ゲリラが数多く登場するようになった。20世紀に入ると、ロシア革命直後の同国での内戦や対干渉戦争でパルチザン活動が多用された。やがて中華革命の過程で、中国共産党は自覚的に不正規の遊撃戦を大々的に展開し、軍閥、国民党軍、日本軍とたたかった。この経験は毛沢東の手で、持久型の「遊撃戦論」としてまとめあげられている。それによると、ゲリラ戦争は力の弱い被抑圧人民が侵略者との闘争でまず採用する、人民に依拠した遊撃戦であり、その主な目的は、敵を疲弊させ、味方の力をしだいに強固なものにする持久にある。ゲリラはやがて正規の人民軍へと成長し、この正規軍によって侵略軍との最終的な決着が行われる。毛沢東の『遊撃戦論』は、第二次世界大戦の多くの民族解放運動に強い影響を与え、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの諸地域でゲリラ戦争が行われた。ベトナムのボー・グエン・ザップやキューバのエルネスト・チェ・ゲバラのような理論家もそのなかで登場している。

A.S


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