スカーフ事件4
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2013年8月7日 (水) 02:04の版
スカーフ事件とは
概要
スカーフ事件は1989年9月フランスパリ郊外のクレイユ市の公立中学校でフランスで生まれたモロッコ系のレイラとファティマ、チュニジア系のサミラの3人のムスリム女生徒がスカーフを着用して登校。校長が取るように命令したが3人は拒否、その結果退学処分となった。このスカーフ事件の背景にはフランスがマグレゴ系などの様々な文化的宗教的な背景をもった移民を多く抱えながらも、彼らのフランス社会への統合に多くの問題を抱えているという現状がある。
結果
「スカーフ事件」は国家の宗教的中立性といったフランス国家を形作っている基本理念や両性の平等といった普遍的価値、あるいは様々な文化的コミュニティのモザイクではなく平等で自律した個人から成るとされる、フランスという国家のあり方そのものに関わる問題を孕むものと捉えられたため、論争はその後も続いていくことになる。 2003年7月当時のシラク大統領は「共和国におけるライシテの原理適用についての委員会」を設置しこの問題に関する法的な決着を目指すことになった。そして2003年12月にスタジ委員会から答申が提出されたのを受け、2004年法案が提出され可決されることになるのである。その条文は教育法典に挿入された次の一条の条文からなるもので「第141の5の1条 公立の小・中・高等学校において、それによって生徒が誇示的に宗教的な帰属を示す標章や服装の着用は禁じられる。」と示された。いわゆる「スカーフ禁止立法」である。これに伴いムスリムのスカーフの他、クリスチャンの十字架、ユダヤのキッパ(帽子)が同法の適用となった。
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