ノート:イスラム教

出典: Jinkawiki

(版間での差分)
2013年8月6日 (火) 16:13の版
Bunkyo-studen2008 (ノート | 投稿記録)

← 前の差分へ
2013年8月7日 (水) 11:53の版
Bunkyo-studen2008 (ノート | 投稿記録)

次の差分へ →
1 行 1 行
-'''イスラム教と日本の関わりについて'''+'''イスラム教'''
 +<イスラム教の基本的な事柄>
 +預言者ムハンマドに降ろされた啓示によって誕生した。
 +唯一神アッラー。現在世界中に約10億人以上の信者を持ち、世界三大宗教の一つとされている。しかし日本人にとっては馴染みが薄く、2001年の同時多発テロ以降は、・テロ・危険・女性抑圧というイメージが刷り込まれてしまったのが事実である。
-日本とイスラーム諸国との関係が始まったのは明治以降である。ロシア革命後にはロシアから多くのムスリムが亡命してきた。1972年聖典クルアーンの日本語訳も初めて出版された。1973年の石油危機で産油国のイスラーム諸国に関心が高まった。しかし、日本人がイスラームに抱くイメージは依然として「砂漠のかなたの不思議な宗教」というものだった。+六つの信仰箇条(六信)
- こうした日本におけるイスラームの状況に変化が現れたのは1980年代半ばのことだ。それはバブル期のことである。バブルを支えた製造業・建設業では労働力が不足し、アジア諸国から労働者が募られ、そのなかには南・東南アジアを中心とするイスラーム諸国も含まれていた。+・預言者ムハンマド・天使・神アッラー・啓典・来世・定命
- 1980年代ビザがとりやすく国内の何十倍も稼げる日本への出稼ぎに人気が集まった。1988年にイラン・イラク戦争が終わるとイランからも大勢の労働者が来日するようになったのである。また1993年には産業技術習得のための技能実習制度が導入されたため、インドネシアやマレーシアから来日する若者も増えた。+五つの義務行動(五行)
- しかしあまりにも出稼ぎ労働者が増えたために、これらの国々との間でとられていた査証免除措置は1990年前後に相次いで停止されてしまった。さらには、1990年の改正入管法で日系人に合法的に単純労働も認める滞在資格が認定され、1991年にバブルが崩壊したことによって、イスラーム諸国からの出稼ぎ労働者の多くが帰国を余儀なくされてしまったのである。+・信仰告白・断食・巡礼・礼拝・喜捨
- 他方で、これらの出稼ぎ労働者のほとんどは若者の男性だったため、なかには、日本人の女性と結婚し、滞在資格の安定を手にしたものもいた。そのおかげで、親族や同郷者とのネットワークを活かしてビジネスを起こすものもいた。+
- 現在日本に暮らすムスリムは約6万3500人余りになるといわれている。日本人も合わせると約7万人余りにもなる。+
- +<日本とイスラーム>
-私のアルバイト先にもイスラム教信者のパキスタン人の父親と日本人の母親を持つ、同い年の男の子がいる。彼は、フリーターをやっている。+日本とイスラーム諸国との関係が始まったのは明治以降である。ロシア革命後にはロシアから多くのムスリムが亡命した。1972年、聖典クルアーンの日本語訳が初めて出版された。1973年の石油危機では産油国でもあるイスラーム諸国に対する関心が一時的に高まったものの。いまだ日本人のイメージするイスラームは「砂漠のかなたの不思議な宗教」というものだった。
-父親が熱心なイスラム教信者なため、彼も、厳格にイスラム教のおきてを守っている。先月の猛暑の日も日が落ちるまでは、飲み食いをしなかった。アルコールももちろん飲んでいない。+ こうしたなか、日本におけるイスラームの状況が変化したのは1980年代半ばからのバブル期である。バブルの好景気を支えた製造業・建設業では労働力は不足し、アジア諸国から労働者が募られ、その中には南・東南アジアを中心とするイスラーム諸国も含まれていた。
-2001年の同時多発テロ以来、危険な宗教というイメージがあったが、+ 1980年代、ビザがとりやすく国内の何十倍も稼げる日本への出稼ぎに人気が集中した。1988年にイラク・イラン戦争が終わるとイランからも大勢の労働者が来日した。また1993年には産業技術獲得のための技術実習制度が導入され、インドネシアやマレーシアからも若者が多く来日するようになった。しかし、あまりにも出稼ぎ労働者が増えたため、これらの国々との間でとられていた査証免除措置は1990年前後に次々に停止されてしまった。さらに1990年の改正入管法で日系人に合法的に単純労働も認める滞在資格が新設され、1991年にバブルが崩壊したことで、イスラーム諸国からの出稼ぎ労働者の多くが帰国を余儀なくされたのである。
-厳格におきてを守っている姿には感銘を受けた。+ 日本に残った中には日本人の女性と結婚した人もいた。結婚により滞在資格が安定した彼の中には、親族や同郷者とのネットワークを活かしてビジネスを起こすものいた。
-このような姿勢は、私たち日本人も見習わなければならない部分なのではないだろうか。+ 
 + ちなみに現在日本にいるムスリムは2000年の時点で、約6万3500人余りになる。
 +日本人も合わせると約7万にもなると見積もることができる。
 + 
 +<日本人のイスラム教信者と接してみて思ったこと>
 +私のアルバイト先に、パキスタン人の父親と日本人の母親をもったハーフの男の子がいる。彼は私と同い年で、フリーターをやっている。父親がイスラム教の信仰に大変熱心なために、彼もイスラム教の決まりを厳格にまもっている。7月半ばの猛暑の日も、日が落ちるまでは飲まず食わずで、何も口にしていなかった。
 +2001年のテロの影響でイスラム教に対してあまり良いイメージがなかったが、熱心に信仰している姿をみてとても感銘をうけた。
 +信仰心を大切にし、決まりごとに関しては妥協をしない面は、見習わなければならないことだなと思った。
 + 
 + 
 +参考文献
 +「宗教と社会のフロンティア」勁草書房

2013年8月7日 (水) 11:53の版

イスラム教

<イスラム教の基本的な事柄> 預言者ムハンマドに降ろされた啓示によって誕生した。 唯一神アッラー。現在世界中に約10億人以上の信者を持ち、世界三大宗教の一つとされている。しかし日本人にとっては馴染みが薄く、2001年の同時多発テロ以降は、・テロ・危険・女性抑圧というイメージが刷り込まれてしまったのが事実である。

六つの信仰箇条(六信) ・預言者ムハンマド・天使・神アッラー・啓典・来世・定命 五つの義務行動(五行) ・信仰告白・断食・巡礼・礼拝・喜捨

<日本とイスラーム> 日本とイスラーム諸国との関係が始まったのは明治以降である。ロシア革命後にはロシアから多くのムスリムが亡命した。1972年、聖典クルアーンの日本語訳が初めて出版された。1973年の石油危機では産油国でもあるイスラーム諸国に対する関心が一時的に高まったものの。いまだ日本人のイメージするイスラームは「砂漠のかなたの不思議な宗教」というものだった。  こうしたなか、日本におけるイスラームの状況が変化したのは1980年代半ばからのバブル期である。バブルの好景気を支えた製造業・建設業では労働力は不足し、アジア諸国から労働者が募られ、その中には南・東南アジアを中心とするイスラーム諸国も含まれていた。  1980年代、ビザがとりやすく国内の何十倍も稼げる日本への出稼ぎに人気が集中した。1988年にイラク・イラン戦争が終わるとイランからも大勢の労働者が来日した。また1993年には産業技術獲得のための技術実習制度が導入され、インドネシアやマレーシアからも若者が多く来日するようになった。しかし、あまりにも出稼ぎ労働者が増えたため、これらの国々との間でとられていた査証免除措置は1990年前後に次々に停止されてしまった。さらに1990年の改正入管法で日系人に合法的に単純労働も認める滞在資格が新設され、1991年にバブルが崩壊したことで、イスラーム諸国からの出稼ぎ労働者の多くが帰国を余儀なくされたのである。  日本に残った中には日本人の女性と結婚した人もいた。結婚により滞在資格が安定した彼の中には、親族や同郷者とのネットワークを活かしてビジネスを起こすものいた。

 ちなみに現在日本にいるムスリムは2000年の時点で、約6万3500人余りになる。 日本人も合わせると約7万にもなると見積もることができる。

<日本人のイスラム教信者と接してみて思ったこと> 私のアルバイト先に、パキスタン人の父親と日本人の母親をもったハーフの男の子がいる。彼は私と同い年で、フリーターをやっている。父親がイスラム教の信仰に大変熱心なために、彼もイスラム教の決まりを厳格にまもっている。7月半ばの猛暑の日も、日が落ちるまでは飲まず食わずで、何も口にしていなかった。 2001年のテロの影響でイスラム教に対してあまり良いイメージがなかったが、熱心に信仰している姿をみてとても感銘をうけた。 信仰心を大切にし、決まりごとに関しては妥協をしない面は、見習わなければならないことだなと思った。


参考文献 「宗教と社会のフロンティア」勁草書房


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成