竹島問題2
出典: Jinkawiki
2013年8月8日 (木) 16:49の版
日本と韓国の間での竹島の領有権をめぐる紛争のことである。
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竹島の位置
隠岐諸島の北西約157キロメートル、北緯37度14分、東経131度52分の日本海上に位置する群島であり、島根県隠岐の島町に属する。東島(女島)、西島(男島)の2つの小島とその周辺の数十の岩礁からなり、総面積は約0.21平方キロメートルである。
日本の認知
現在の竹島は日本では「松島」と呼ばれており、鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていた。日本が「松島」と「竹島」存在を承知していたことは各種の地図や文献からも確認できる。江戸時代には鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛が幕府公認で鬱陵島の独占的経営を行っており、鬱陵島の道筋にある竹島は、航行の目標として、途中の船がかりとして、また、あしかやあわびの漁獲の好地として自然に利用されていた。このように、日本は遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには、竹島の領有権を確立していた。
第二次世界大戦後、連合国は占領下の日本に対し、政治上または行政上の権力の行使を停止すべき地域、また、漁業及び捕鯨を行ってはならない地域を指令し、この中に竹島を含めた。しかし、これらの連合国による規定には、いずれもこれは領土帰属の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない旨が明記されている。その後1951年9月に署名されたサンフランシスコ条約は、日本による朝鮮の独立承認を規定するとともに、日本が放棄すべき地域として「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定した。それに対し韓国は、日本が放棄すべき地域を独島(竹島)を含む、日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々にするようアチソン米国務長官宛の書簡を提出した。しかし米国は以下の通り回答し、韓国側の主張を 否定した。
「・・・合衆国政府は、1945年8月9日の日本によるポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対する日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を(サンフランシスコ平和)条約がとるべきだとは思わない。ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない。・・・・」
これらのやり取りから、日本は竹島は日本の領土であるとしている。
韓国の認知
韓国側は「独島は6世紀以降韓国固有の領土である。これを1905年に日本が強奪したのだ」という。その根拠として「三国史記」に書かれている「于山国、溟州(めいしゅう)の正真(真東)にある海島、あるいは名を欝陵島(うつりょうとう)」という記事を挙げている。(しかしこれは欝陵島の住民が新羅に服属したという記事であり、竹島(独島)ではない)
参考資料
外務省「竹島問題」http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/ 竹島問題とはなにかhttp://www.h2.dion.ne.jp/~mogiseka/article/050320takeshima_dokdo_history.htm