アイヌ民族2

出典: Jinkawiki

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基本情報

 本州北部・北海道・樺太南部・千島列島を中心に居住している先住の北方諸民族のひとつである

 人口は約5万人で、現在は何世紀の間に和人との婚姻が進んだことから純血のアイヌ民族は少ない。

 自然と一体化した独自の文化・宗教を有しており、主に狩猟・漁撈・採集をして生活をしている。


民族の歴史

 アイヌ民族が始めて日本列島に姿を見せたのは、今から3000~4000年前の縄文時代と言われている。

 大和政権はアイヌ民族を平定して統合することを重要な課題として、阿倍比羅夫による蝦夷討伐などを行っていた。

 本格的に和人と関わるようになったのは鎌倉時代である。北方交易を通して交流をしていたが、同時に和人による収奪や抑圧も行われていた。これに反発したアイヌ民族はその後、コシャマインの戦い(康正2年 1456年)、クナシリ・メナシの戦い(寛政元年 1789年)などの武力抵抗を引き起こすことになる。

 江戸時代になりアイヌと和人との交易は盛んに行われていた。しかし、江戸末期になると蝦夷地はロシアの南下政策に対する幕府の直轄地、前進基地となりアイヌへの支配は一層強化されてしまう。それでも異民族として居住地が認められていたため、伝統的な生活様式や言語・文化の維持をすることはできた。

 明治時代に入ると、アイヌ民族は「日本人」とされるようになり同化政策が進められ農耕を中心とする生活様式への転換を余儀なくされてしまった。それから明治2年(1869年)には開拓使が置かれるようになり、蝦夷地は北海道として改称をされた。その翌年には戸籍が与えられるようになり、アイヌ民族は日本人となった。その後「北海道地券発行条例」によって、アイヌの人々が占有していた土地は官有地とされてしまった。同時に、政府はアイヌ語と旧慣習を禁止して日本人としての改姓を強制しながら、アイヌ民族を「旧土人」とした。さらに、鹿や鮭の乱獲からこれらを生活資源としていたアイヌ民族の生活は窮乏に落ち込んでしまった。明治32年(1899年)にはアイヌ民族を保護するため「北海道旧土人保護法」が制定された。しかしアイヌ民族を保護するという役割で制定されたこの法律であるが、差別を正当化し固定化する根拠となってしまった。

 戦後にはアイヌ民族の権利回復運動が起こるようになり、1946年には全道アイヌ集会が開催され、そこで「社団法人 北海道アイヌ集会」が組織された。その後1960年には、「北海道ウタリ協会」に再編された。そしてウタリ協会はアイヌ民族の意見をまとめながら選挙に立候補をして、地域の代表権・学校でのアイヌ語の授業・土地権に対する保障の要求をしている。


参考文献

『世界の先住民族』 明石書店

『歴史の転換と民族問題』 御茶の水書房



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