ウィーン 国立オペラ座

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 皇帝フランツ・ヨーゼフの時代に都市改造の一環として計画されたもの。オペラ座の設計は建物担当のシッカ―スブルク (August von Siccarsburg) と装飾担当のニュル (Eduard van der Nuell) によって、1861年から1869年の間に建てられた。これはロンバルディア、フランス、ドイツのルネッサンス様式を統一したもので、この様式の最高峰と同時に最後をも極めてしまった。そのためオペラ座は時代遅れだと散々に酷評され、それを苦にしたニュルはオペラ座完成を見ることなく1868年に自殺し、シッカ―スブルクはニュルの死の2ヶ月後に病死した。  皇帝フランツ・ヨーゼフの時代に都市改造の一環として計画されたもの。オペラ座の設計は建物担当のシッカ―スブルク (August von Siccarsburg) と装飾担当のニュル (Eduard van der Nuell) によって、1861年から1869年の間に建てられた。これはロンバルディア、フランス、ドイツのルネッサンス様式を統一したもので、この様式の最高峰と同時に最後をも極めてしまった。そのためオペラ座は時代遅れだと散々に酷評され、それを苦にしたニュルはオペラ座完成を見ることなく1868年に自殺し、シッカ―スブルクはニュルの死の2ヶ月後に病死した。
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 オペラ座の内部装飾には当時のウィーンの有名芸術家たちが腕をふるい、あちこちに音楽や芸術を意味する寓意のちりばめられた華麗な世界が作り出された。例えば外から見えるオペラ座正面の開廊二階に立つ5体の立像はそれぞれヒロイズム、ドラマ、想像、喜劇、愛を表し、その後ろの壁にはシュヴィント (Moritz von Schwind) によるモーツアルトのオペラ『魔笛』の場面がフレスコで描かれている。また、内部の吹きぬけの壁には『オペラ』と『バレエ』というテーマで描かれた2枚のフレスコ画が飾られ、芸術を表す7体の像もあちこちに立っている。  オペラ座の内部装飾には当時のウィーンの有名芸術家たちが腕をふるい、あちこちに音楽や芸術を意味する寓意のちりばめられた華麗な世界が作り出された。例えば外から見えるオペラ座正面の開廊二階に立つ5体の立像はそれぞれヒロイズム、ドラマ、想像、喜劇、愛を表し、その後ろの壁にはシュヴィント (Moritz von Schwind) によるモーツアルトのオペラ『魔笛』の場面がフレスコで描かれている。また、内部の吹きぬけの壁には『オペラ』と『バレエ』というテーマで描かれた2枚のフレスコ画が飾られ、芸術を表す7体の像もあちこちに立っている。
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 1869年に完成したオペラ座では同年の5月にモーツアルトの『ドン・ジョヴァンニ』が柿落としに上演され、以後オペラ座はウィーン上流社会のシンボルともなっていく。しかし第二次世界大戦においてオペラ座は正面部分と中の吹きぬけを残して大きく破壊されてしまい、1955年にようやく修復工事が終了する。その際オペラ座の外側はそのまま、内部は若干の変更を加えて修復された。修復工事の後、オペラ座は1955年の11月にベートーベンによる唯一のオペラ『フィデリオ』上演を機に再び幕を上げる。その後のオペラ座は再び以前の勢いを取り戻し、マーラーや小沢征爾など世界に冠たる指揮者のもと今日まで美しい音楽を紡ぎ続けてきている。  1869年に完成したオペラ座では同年の5月にモーツアルトの『ドン・ジョヴァンニ』が柿落としに上演され、以後オペラ座はウィーン上流社会のシンボルともなっていく。しかし第二次世界大戦においてオペラ座は正面部分と中の吹きぬけを残して大きく破壊されてしまい、1955年にようやく修復工事が終了する。その際オペラ座の外側はそのまま、内部は若干の変更を加えて修復された。修復工事の後、オペラ座は1955年の11月にベートーベンによる唯一のオペラ『フィデリオ』上演を機に再び幕を上げる。その後のオペラ座は再び以前の勢いを取り戻し、マーラーや小沢征爾など世界に冠たる指揮者のもと今日まで美しい音楽を紡ぎ続けてきている。
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 1897年から1907年まで音楽監督だったグスタフ・マーラーは、このオペラ座に住んでいた。彼の時代のオペラ座は、まだ貴族のサロンのようなところで、舞台を見ながらお菓子を食べていたり、がやがやとおしゃべりをしているのが普通だった。マーラーはその慣習を不快とし、オペラを鑑賞させるために次のことを決めた。  1897年から1907年まで音楽監督だったグスタフ・マーラーは、このオペラ座に住んでいた。彼の時代のオペラ座は、まだ貴族のサロンのようなところで、舞台を見ながらお菓子を食べていたり、がやがやとおしゃべりをしているのが普通だった。マーラーはその慣習を不快とし、オペラを鑑賞させるために次のことを決めた。
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1、飲食禁止  2、上映中の出入り禁止  3、おしゃべり禁止 1、飲食禁止  2、上映中の出入り禁止  3、おしゃべり禁止
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である。中でも3つ目を女性に守らせるのが大変難しかったそうだが、彼は上映中の灯りを消すことによってそれを実現することができた。(それまでは上映中も明るいのが当たり前だった) である。中でも3つ目を女性に守らせるのが大変難しかったそうだが、彼は上映中の灯りを消すことによってそれを実現することができた。(それまでは上映中も明るいのが当たり前だった)
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1897-1907          グスタフ・マーラー 1897-1907          グスタフ・マーラー
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1908-1911、1935-1936    フェリックス・フォン・ワインガルトナー 1908-1911、1935-1936    フェリックス・フォン・ワインガルトナー
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1918-1929          フランツ・シャルク 1918-1929          フランツ・シャルク
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1919-1924、1929-1934    リヒャルト・シュトラウス(共同監督) 1919-1924、1929-1934    リヒャルト・シュトラウス(共同監督)
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1943-1945、1954-1956    カール・ベーム 1943-1945、1954-1956    カール・ベーム
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1956-1962          ヘルベルト・フォン・カラヤン 1956-1962          ヘルベルト・フォン・カラヤン
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1982-1984          ロリン・マゼール 1982-1984          ロリン・マゼール
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1986-1992          クラウディオ・アバド 1986-1992          クラウディオ・アバド
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2002-2010          小澤征爾 2002-2010          小澤征爾
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 オペラと聞くと格式高く、値段も高いイメージがあるが、実は値段は安い席だと約1200円。立ち見の席となると約300~500円で観ることができる。またヨーロッパのオペラは正装といわれるが、プルミエ(演出を切り換えた初日)などの特別な日でなければそれほどのドレスアップも必要ない。値段の高い席でも、友人の結婚式に出るくらいの服装で大丈夫である。ただし、男性は最低でもジャケットは必要である。  オペラと聞くと格式高く、値段も高いイメージがあるが、実は値段は安い席だと約1200円。立ち見の席となると約300~500円で観ることができる。またヨーロッパのオペラは正装といわれるが、プルミエ(演出を切り換えた初日)などの特別な日でなければそれほどのドレスアップも必要ない。値段の高い席でも、友人の結婚式に出るくらいの服装で大丈夫である。ただし、男性は最低でもジャケットは必要である。
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立ち見席では入口に入るときに職員によるドレスチェックがあるが、基本的にGパンやTシャツでも問題はない。しかし、足の指の露出したサンダルや男性のショートパンツではチェックのときにはねられて帰させられるそうだ。 立ち見席では入口に入るときに職員によるドレスチェックがあるが、基本的にGパンやTシャツでも問題はない。しかし、足の指の露出したサンダルや男性のショートパンツではチェックのときにはねられて帰させられるそうだ。

2008年7月1日 (火) 20:36の版

国立オペラ座の正式名称は国立歌劇場と呼ばれる。ドイツ語ではヴィーナー・シュターツオーパー(Wiener Staatsoper) オーストリアのウィーンに本拠地を置く。


●国立オペラ座の歴史

 皇帝フランツ・ヨーゼフの時代に都市改造の一環として計画されたもの。オペラ座の設計は建物担当のシッカ―スブルク (August von Siccarsburg) と装飾担当のニュル (Eduard van der Nuell) によって、1861年から1869年の間に建てられた。これはロンバルディア、フランス、ドイツのルネッサンス様式を統一したもので、この様式の最高峰と同時に最後をも極めてしまった。そのためオペラ座は時代遅れだと散々に酷評され、それを苦にしたニュルはオペラ座完成を見ることなく1868年に自殺し、シッカ―スブルクはニュルの死の2ヶ月後に病死した。

 オペラ座の内部装飾には当時のウィーンの有名芸術家たちが腕をふるい、あちこちに音楽や芸術を意味する寓意のちりばめられた華麗な世界が作り出された。例えば外から見えるオペラ座正面の開廊二階に立つ5体の立像はそれぞれヒロイズム、ドラマ、想像、喜劇、愛を表し、その後ろの壁にはシュヴィント (Moritz von Schwind) によるモーツアルトのオペラ『魔笛』の場面がフレスコで描かれている。また、内部の吹きぬけの壁には『オペラ』と『バレエ』というテーマで描かれた2枚のフレスコ画が飾られ、芸術を表す7体の像もあちこちに立っている。

 1869年に完成したオペラ座では同年の5月にモーツアルトの『ドン・ジョヴァンニ』が柿落としに上演され、以後オペラ座はウィーン上流社会のシンボルともなっていく。しかし第二次世界大戦においてオペラ座は正面部分と中の吹きぬけを残して大きく破壊されてしまい、1955年にようやく修復工事が終了する。その際オペラ座の外側はそのまま、内部は若干の変更を加えて修復された。修復工事の後、オペラ座は1955年の11月にベートーベンによる唯一のオペラ『フィデリオ』上演を機に再び幕を上げる。その後のオペラ座は再び以前の勢いを取り戻し、マーラーや小沢征爾など世界に冠たる指揮者のもと今日まで美しい音楽を紡ぎ続けてきている。


●グスタフ・マーラーの改革

 1897年から1907年まで音楽監督だったグスタフ・マーラーは、このオペラ座に住んでいた。彼の時代のオペラ座は、まだ貴族のサロンのようなところで、舞台を見ながらお菓子を食べていたり、がやがやとおしゃべりをしているのが普通だった。マーラーはその慣習を不快とし、オペラを鑑賞させるために次のことを決めた。

1、飲食禁止  2、上映中の出入り禁止  3、おしゃべり禁止

である。中でも3つ目を女性に守らせるのが大変難しかったそうだが、彼は上映中の灯りを消すことによってそれを実現することができた。(それまでは上映中も明るいのが当たり前だった)


●国立オペラ座の歴代監督


1897-1907          グスタフ・マーラー

1908-1911、1935-1936    フェリックス・フォン・ワインガルトナー

1918-1929          フランツ・シャルク

1919-1924、1929-1934    リヒャルト・シュトラウス(共同監督)

1943-1945、1954-1956    カール・ベーム

1956-1962          ヘルベルト・フォン・カラヤン

1982-1984          ロリン・マゼール

1986-1992          クラウディオ・アバド

2002-2010          小澤征爾


●オペラは格式高い?

 オペラと聞くと格式高く、値段も高いイメージがあるが、実は値段は安い席だと約1200円。立ち見の席となると約300~500円で観ることができる。またヨーロッパのオペラは正装といわれるが、プルミエ(演出を切り換えた初日)などの特別な日でなければそれほどのドレスアップも必要ない。値段の高い席でも、友人の結婚式に出るくらいの服装で大丈夫である。ただし、男性は最低でもジャケットは必要である。

立ち見席では入口に入るときに職員によるドレスチェックがあるが、基本的にGパンやTシャツでも問題はない。しかし、足の指の露出したサンダルや男性のショートパンツではチェックのときにはねられて帰させられるそうだ。


●立ち見席の場所の取り方 

 立見席を取るときは、必ず長めのスカーフなりマフラーを用意することだ。がっちりと、自分の横幅以上のスペースをきっちりと手摺の下の棒に結んで確保すること。そうしなければ、係員が中途半端な目印は落としていき、手摺の上部の赤いところに結んでいるものは、問答無用で外されてしまう。そして、中途半端に結んで間にスペースがあると、容赦なく後から来た人に割り込まれてしまうため、気がついたら自分の周りだけ満員電車状態になりかねない。わからなければ、現地で周りの人がやっているのを参考にするといいだろう。場所を確保した後は、開演までどこに移動しても良い。その場所に張り付いて、場所確保を続ける必要はないのだ。


●ミニ情報 

オペラの公演後、Arcadiaの近くの「ZurBuene」のところで待っていると、歌手の方々が出てきてサインをしてくれるそうだ。そのとき切手を貼って、自分の宛名を書いた空の封筒を渡すと、後日サイン入りのプロマイドを送ってくれるらしい。


参考 http://www.nta.co.jp/ryoko/tourcon/2004/040610/ http://homepage1.nifty.com/mayumin/ost/wien0130.html http://www.travelplatz.com/middle/staatsoper.html http://okusuri.main.jp/page157.html


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