トマス=アクィナス
出典: Jinkawiki
2015年7月31日 (金) 13:51の版
トマス=アクィナス
来歴
トマス=アクィナスが生まれたのは1225年、ローマとナポリのほぼ中間、アクィの町の近くのロッカーセッカに築かれた山城であった。城主である彼の父親ランドルフォは、シチリア王国とローマ教皇領という2つの勢力が激突する地点にあった所領を、シチリア王国の国王を兼ねていた神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ二世の側につきつつ、数々の危機を切り抜けて守り抜いた武将である。母親のテオドラはシチリアとアラゴンの女王たちの妹であったという説もあるが、確証はなく確かなのはナポリ出身の貴婦人であったこと、そして1243年ころ、ランドルフォが死んだ後は1255年ころ没するまでロッカーセッカのアクィノ家の柱として采配をふるったということだけである。 トマスが5歳の時、かれの生活環境は、山城から修道院へと一転した。トマスが行った先はモンテカシノ修道院でそこで14歳になるまで初等教育をうけた。1239年の秋、トマスはナポリ大学に進学する。トマスはここでのちの彼の生活と仕事に大きな影響を与える2つの出会いをする。1つはアリストテレスの思想との出会いである。この出会いはのちの西欧思想史にとって重大な意味を持つこととなった。もう1つは、ドミニコ会のとの出会いである。ドミニコ会はキリスト教の修行生活を人里離れた山の中ではなく、都市のなかへ、そして民衆の中へともたらそうとする運動をしていた。実家から様々な妨害はあったがトマスはドミニコ会への入会を果たす。トマスは20歳になると、パリ大学にうつり聖書研究とアリストテレスの研究に没した。トマスはこの後、著作に明け暮れることとなった。しかし著作に明け暮れていたトマスであったが、1273年12月6日の聖ニコラウスの祝日のミサの間に不思議な変化が起き、これ以降筆を執ることはなかった。周囲の友人から執筆をすすめられたが、トマスは「私にはできない。私が見、私に啓示された事柄にくらべると私が書いたことはすべてわらくずのように見えるのだ」と答えたという。1274年5月からリヨンで開かれる公会議に出席するよう、教皇からの要請を受け1273年の冬旅立ったが、その途中健康がすぐれず、遂に1274年の3月7日故郷に近いフォッサノーヴァにあるシトー会の修道院で病没した。
主な著作
『神学大全』 『異教徒反駁大全』
参考文献
「人と思想 トマス=アクィナス」著 稲垣良典 清水書院 「トマス=アクィナス」著 A.ケニー 訳 高柳俊一/藤野正克 教文館
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