禁酒法

出典: Jinkawiki

(版間での差分)

2008年7月3日 (木) 12:25の版

アメリカ全土で禁酒法が施行されたのは1920年1月で、この法律によって、0.5% 以上のアルコールを含むすべての飲料は、製造、販売、運搬、輸入、輸出を禁じられた。 この法律が施行された背景として、ピューリタンの影響が強かったアメリカでは、アルコールに対する強い批判があったこと、宗教的理由に加え、男性が(不健全な)酒場に入り浸り家庭生活に支障をきたすことに対する女性からの批判は大きく、女性を中心とする禁酒運動は根強く存在していた。そこに第一次世界大戦の開始にともない戦時の穀物不足を予防するという経済的な動機が出現し、全国的な禁酒法制定への機運が盛り上がった。また、そこには酒造・酒販業界を牛耳るドイツ系への反発感情もあったとみなす動きもあるなどが挙げられる。しかし、禁酒法は実際には巧く機能しなかったといわれている。その理由には、 1. 隣国カナダからの輸送を取り締まらなかったので、カナダ国内で合法的に販売された酒類は爆発的に売れ、アメリカへと持ち込まれることになった。これにより、カナダ経済は非常に潤うという結果を生んだ。 2. 禁酒法の執行官の待遇が悪く、密造業者や密造、アル・カポネをはじめとする密売に関わるギャングに買収されたりした執行官が多かった。 3. さらに、密造酒による健康問題や、密売に関わるギャングやマフィア同士の抗争による治安の悪化も問題となった。 4. 不健全な酒場を廃止することが目的の一つであったのに、より不健全な非合法酒場が横行した。 5. さらに、世界恐慌で景気が後退すると、密売酒・密造酒が課税されないことが財政難の中大きくクローズアップされるようになった。 以上のような問題もあり、ルーズベルト大統領は当選すると、かねてからの公約通り禁酒法の廃止へと動いた。そして、1933年2月に禁酒法を廃止する修正第21条が可決され、12月5日に施行された。


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