熊谷連続殺人事件
出典: Jinkawiki
2016年7月24日 (日) 14:24の版
熊谷連続殺人事件とは2015年9月14日に埼玉県熊谷市で発生した、30歳のペルー人男性による住居侵入及び住民6名の殺害事件である。容疑者の男や被害者同士の間に関連性はなく、強盗を目的とした突発的な住居侵入及び殺人であると見られている。容疑者は殺人容疑などで逮捕され、現在は強盗殺人と死体遺棄などの罪名で起訴されている。
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事件が発生した地域
事件が発生したのは埼玉県熊谷市の見晴町の住宅地と、同市の石原の住宅だった。見晴町は荒川沿いの閑静な住宅地で、付近には熊谷市立熊谷南小学校や熊谷市立荒川中学校などがあり、石原の住宅の付近にも熊谷市立石原小学校や埼玉県立熊谷農業高等学校などがある。どちらも上越新幹線の停車駅である熊谷駅や熊谷市役所とも程近い場所だった。過去には1989年に熊谷養鶏場宿舎放火殺人事件、1993年に埼玉愛犬家連続殺人事件、2003年に熊谷男女4人殺傷事件、2013年には日系ブラジル人による熊谷強盗殺人事件などが起こっている。
発生から犯人逮捕まで
2015年9月14日の午後16時頃、埼玉県熊谷市見晴町の自宅で、ともに年齢50代の夫婦が上半身から血を流して倒れていると通報がされた。発見したのは夫婦の親族と知人で、玄関には鍵はかかっていなかった。知人の女性は発見の1時間前に被害者の女性とメールのやりとりをしていたという。夫婦は病院に搬送されたが死亡が確認された。被害者の夫婦が倒れていた部屋の壁には10文字のアルファベットのようなものが血によって書かれていたが、埼玉県警はその文字の詳細や意味を明らかにすることはできなかった。翌々日の16日の午後16時半頃、最初の事件現場から1キロメートルほど離れた熊谷市石原の住宅で一人暮らしをしていた80代の女性が殺害されているのが発見された。通報を受けた埼玉県警が現場の付近を捜索していたところ、部屋の明かりが灯っているにも関わらず留守にしていた住宅の中に、刃物を持った男を発見し、17時頃確保した。その際、男は自らの腕を包丁で切りつけた後2階の窓から飛び降り、頭部を強打して意識不明の重体となった。その住宅からは、住んでいた40代の女性と2人の小学生の娘の遺体がクローゼットから発見された。いずれの被害者も包丁によって殺害されており、凶器に使われた2本の包丁は警察に押収された。なお16日に起きた事件の現場には、血で書かれた文字は発見されなかった。最初の殺人事件に関しては、被害者宅に残された遺留物の中に確保された男のものがあったことが、DNA鑑定によって分かった。その後、男は埼玉県深谷市の病院に運ばれ、意識を取り戻して回復し、2015年10月に退院、殺人事件の容疑者として逮捕された。
犯人の行動
逮捕されたのは住所不定無職で30代の日系ペルー人、ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン容疑者(以下、ナカダ容疑者)。2005年に来日し、仕事を転々としながら暮らしていた。2015年の8月から9月までは群馬県伊勢崎市のサラダ製造工場に勤めていたが、犯行に及ぶ数日前に電話で退職する旨を伝えていた。その時、ナカダ容疑者は「背広を着た人に追いかけられているから、もう工場では働けない」と言っていたという。2015年の9月13日、容疑者は熊谷市内の住宅に不法侵入し、住民によって熊谷消防署玉井分署に連絡がなされ、最終的に熊谷警察署に任意同行された。住民によるとナカダ容疑者は住民に対して、財布を見せながら「カネ、カネ」と言ったり、電話をかけるような仕草をしながら「ケイサツ、ケイサツ」と言っていたという。警察の質問にはスペイン語で応じ、「神奈川県にいるお姉さんのところ……」「ペルーに帰りたい」などと言ったり、警察の許可を得て親族に電話をした際に泣きだしたり、時には警察の問い掛けに対して何も反応しないこともあった。その後ナカダ容疑者は煙草を吸いたいと言って、警察官1名の同伴の元、警察署の玄関前の喫煙スペースで煙草を吸った後、警察官がナカダ容疑者に背を向けた隙に逃走した。警察署前の信号を無視して突っ切り、近くのファミレスに逃げ込んだナカダ容疑者を、追いかけていた警察官は見失ってしまった。警察署に来る前に所持していた財布や携帯電話やパスポートなどの荷物は、置きっぱなしだった。その後、警察によるナカダ容疑者の捜索が開始され、住民からも「外国人が民家に侵入している」という新たな通報が2件された。そして翌日の14日に第一の殺人事件が発生する。15日には不法侵入の容疑でナカダ容疑者に逮捕状を出し、警察はナカダ容疑者の行方を追った。事件発覚後の夫婦の家には夫婦が所持していた乗用車がなく、15日に近くの駐車場に乗り捨ててあった。この車からは血痕が見つかっている。また駐車場近くで自転車の盗難事件が起こっていたことが分かり、警察はナカダ容疑者が最初の犯行後に夫婦の車で逃走した後、今度は近くの自転車を盗んで次の犯行現場まで移動したものと考えている。犯行の動機は金銭や食料などを狙った強盗目的での押し入りと思われ、殺害現場には不自然な調理方法で食事をした跡が残されていた。またナカダ容疑者が確保される際は、侵入した家にあった衣服を身に付けていた。 ナカダ容疑者は10人兄弟の末っ子で、兄弟にペルーの大量殺人事件の犯人であるナカダ・ルデナ・ペドロ・パブロ服役囚がいる。服役囚の兄には精神疾患の疑いがあり、ナカダ容疑者にも似たような傾向があるのではないかという意見も存在する。ペルーに住むナカダ容疑者の姉は「弟は普通だったが、日本に行って精神的に病んでしまった。『誰かに追いかけられている、自分は殺される』と言っていた」と話している。
現在までの経過
2015年10月に逮捕されたナカダ容疑者は「仕事をしていて気が付いたら病院にいた」と供述し、すべての犯行を否認した。家族や知人などの証言から、事件当時、不安定な精神状態にあった疑いのあったナカダ容疑者に対し精神鑑定を実施するため、さいたま地方検察庁は領地期間を2016年5月まで延長した。その結果、当時のナカダ容疑者には責任能力があったと判断され、強盗殺人と死体遺棄の罪名で起訴された。
被害者や遺族などのその後
第3の犯行の被害者である女性はエンディングノートを残していた。エンディングノートとは主に後期高齢者などが自分の死後に、自分の家族や友人などに読ませるためのメッセージを残したものである。そこには娘たちや夫への感謝の言葉や、自分の葬式ではキノピオの主題歌「星に願いを」をかけて娘たちの写真を棺いっぱいに詰めてほしいという希望が綴られていた。しかし事件直後は警察が証拠品としてノートを押収し、残された夫の手に渡ったのは彼女の葬儀の後だった。このことに対して被害者の夫の男性は「もし内容を知っていたら叶えてあげたのに、いつまでも悔いが残ります」と述べている。事件以降、男性は一週間食事も睡眠も満足に送れず、男性の両親(殺害された女児2人の祖父母)も疲労や脳卒中で入院していた。 2人の娘が通っていた熊谷市立石原小学校では児童の登校に保護者や教諭が付き添ったり、全校集会で黙祷が捧げられたり、周辺のパトロールを県警が行ったりといった処置がなされている。また560人の警察官によって戸別訪問が行われた。
警察の対応
今回の一連の事件に対する警察の対応には、様々な疑問や批判が向けられている。一つは13日の通報による任意同行の段階でナカダ容疑者の逃走を許し、見失ってしまった上に、その後の通報を受けてからもナカダ容疑者の身柄を確保できなかった(その日の捜索は4時間で打ち切られている)ことに対するものである。元神奈川県警察官で現在は犯罪ジャーナリストの小川泰平は「埼玉県警の大失態だ。捜査員が付き添ってたばこを吸わせることはあり得るが、その際には細心の注意が必要だ。油断があったとしかいえない。捜査員が現場に赴いて話を聞いてその場で疑いが晴れればわざわざ任意同行させることはない。通訳の手配までしていたということは、その時点で、捜査員が重大犯罪につながる恐れを抱いていたということだ。そんな人物をみすみす取り逃がすことはあり得ない」とコメントし、元警視庁捜査1課長の久保正行は「任意とはいえ、監視に問題があった。弁解の余地がない。逃げたということは重大事件に関与している可能性も考えられる。県警を挙げて行方を捜すべきだった」と指摘している。また甲南大学法科大学院長の渡辺修も「警察から逃亡した不審者で挙動もおかしかった以上、自殺、事故、犯罪など不測の事態に備え、緊急配備するなど急いで身柄を確保する責任が県警にあった。現代社会では、犯罪が起きてから動くよりも、防犯を重視する警察活動が重要。警察の意識改革が必要だ」と批判した。このような批判に対して埼玉県警は任意同行の時点では犯罪の疑いはなく、ナカダ容疑者を厳重に拘束することも表立って指名手配することにも必要性はなかったとしている。しかし埼玉県警察署の幹部は「外国人が物を置いたまま走り去り、信号も守らなかったことに対して、見つけないといけない特異事例だと考えていた」と話している。 また13日の時点で、警察による住民への呼びかけや警告の方法によっては、事件を未然に防げたのではないかという疑問もある。警察からの呼びかけは14日の最初の事件の翌日に学校を通じて保護者に警戒情報が伝えられていたが、地域住民全員には行きわたっていなかった。これに対して警察庁長官の金高雅仁長官は「非常に重い結果が生じている。県警は懸命に対応したと承知しているが、防ぐことができなかったかという観点から事案をよく見ていく必要がある」と話し、「最初の時点では何らかの犯罪への関与は認められず、署にとどめる根拠はなかった」としている。 14日の最初の殺人が発生し、さらに15日に同じ地域で2件目の殺人が発生した後も犯人を確保できず、結果的に3件の殺人で6名の被害者が生まれてしまったことも問題視されている。これらの殺人はすべて半径1キロメートルの範囲で発生し、2件目と3件目の犯行現場は目と鼻の先である。任意同行に始まり逃走と再びの通報、2日間に渡る連続殺人。住民の中には、これらの過程の中でもしも県警による厳重な警告がされていたら、また少しでも早く犯人を確保できていたら、被害者の人数を減らすことができていたのではないかという疑問を抱く者もいた。このような疑問に対して、県警は「必要な捜査を行っており、一連の対応には問題はなかった」としている。3番目の被害者の夫の男性は、警察に対し事件を未然に防ぐことができた可能性を何度か尋ねてみても、無言か「不備はなかった」という答えしか返ってこなかったと語っている。 しかし2015年10月、埼玉県警は事件への対応を見直し、今後の対応策を公表した。殺人事件が発生する前にナカダ容疑者を見失ってしまったことに対するものとしては、常に最悪の事態をも想定しつつ必要な数の警察官を効率的・効果的に運用できるよう努力し、迅速かつ的確な警戒・検索活動を行う、という目標を掲げた。地域住民に対する注意喚起に関しては、より多くの住民が正確な情報を素早く受け取ることができるように、緊急的かつ効果的な情報伝達の手段を多数確立することを目指すとした。また2016年1月からは、凶悪事件や不審者などの情報を発信するTwitterを開設した。
在日外国人の人権問題
13日に通報されたナカダ容疑者を警察署に任意同行したにも関わらず、事情聴取によってナカダ容疑者の詳細な素性や危険性などを判断し、早期の対応によって事件を未然に防ぐも叶わず、逃走と殺人を許してしまった一つの要因として、外国人支援団体などによって提起されている外国人の人権問題が関連していると考えられている。これは日本の警察による事情聴取を受けた多くの外国人が、聴取のされ方に外国人への差別や人権を侵害された感じる要素があったと、メディアなどを通して発言したことに起因する問題である。これについて外国人支援団体はこれまで多くの批判を警察に向けてきた。このことから警察は外国人と思われる者から事情聴取を行う度に、こうした反応をされないように配慮することを強いられていたのだ。このような背景があったため、熊谷警察署はナカダ容疑者の危険性を判断するのに十分な取り調べを行うことができず、逃走されてからも次の通報が来るまでは大がかりな追跡できなかったのだと考えられる。 過去に起こった在日外国人の人権問題に関わる事件では、「マクリーン事件」や「森川キャサリーン事件」などが挙げられる。その他にも在日外国人の人権問題を巡る裁判は度々行われており、現在では彼らの権利は最大限尊重される傾向を示していた。
参考
埼玉県警察資料 http://www.police.pref.saitama.lg.jp/e0010/kurashi/documents/kumagaya.pdf
時事ドットコムニュース http://www.jiji.com/jc/article?k=2016052000828&g=soc
週間女性PRIME http://www.jprime.jp/tv_net/affair/20360/
産経ニュース http://www.sankei.com/affairs/news/150917/afr1509170042-n2.html
zakzak by夕刊フジ http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150917/dms1509171700015-n1.htm
ドットアサヒ http://dot.asahi.com/wa/2015092100042.html?page=1
朝日新聞DIGITAL http://www.asahi.com/articles/ASH9K41N8H9KUTIL01J.html
日本における外国人差別と人権問題 http://kiso2008.natura-humana.net/sai/sinkyuronbun.html