我が闘争
出典: Jinkawiki
2008年7月13日 (日) 03:45の版
『我が闘争』(Mein Kampf)は、アドルフ・ヒトラーが1923年ミュンヒェン一揆の失敗後、獄中で著作を開始し、後にナチズムのバイブルとなった本。 第1巻『Eine Abrechnung』(和解)は1925年7月18日に公表され、第2巻『Die Nationalsozialistische Bewegung』(国家社会主義的運動)は1926年に公表された。ヒトラーが選んだオリジナルタイトルは『Viereinhalb Jahre gegen Lüge, Dummheit und Feigheit』(嘘と臆病、愚かさに対する四年半)だったが、ナチス党の出版者はこのタイトルが複雑だということで『Mein Kampf』(我が闘争)に決定した。
ヒトラー政権下では巨大な人気を獲得し、結婚している夫婦の全てが一冊の購入を要求された。戦争の終了まで約1,000万部がドイツ国内で出版された。現在、ドイツ法に基づき、バイエルン州政府はドイツ連邦政府とドイツ国内で本書の複写あるいは印刷を不許可とし、出版禁止となっている。そのためドイツでは一般人はこの本を見ることができない。
日本では、今日でも訳書が刊行されており誰でも手にすることができる。隅々まで丹念に読んだと言っていた太田先生の感想は、「別に面白くもなんともない本」だそうです。
英訳版は第二次大戦前に出版されたが反ユダヤ主義と軍国主義的主張のいくつかが削除されている。日本語版においても、原書には書かれていた、日本人は劣等民族といった蔑視的表現が削除された。またヒトラーの自殺後、彼の残した文書の中からその続編が見つかったという。これも、『ヒットラー第二の書』、『続・我が闘争』として翻訳、刊行されている。 1997年兵庫県神戸市で起こった連続殺人事件の犯人である、酒鬼薔薇聖斗こと少年Aが愛読していた本としても話題になった。
また、同名で映画も作られている。ヒトラーの出生と生い立ち、そしてナチス軍誕生の発端から破滅までを詳細にとらえた、フィルムとスチール写真のみで構成されるドキュメンタリーである。ナチス軍側が撮影したポーランド侵攻の凄惨な場面では、そのあまりの残虐さに当のナチス軍さえ公開しなかった映像も含めて編集されている。さらにゲシュタポ教育用の映像や当時のニュース映像、ナチスの宣伝映画など、非常に貴重な映像もある。監督は戦時中スウェーデンに亡命していたユダヤ系ドイツ人エルヴィン・ライザー監督。「ナチスの犠牲になった全ての人に捧ぐ」として、1960年に制作。